今週の競馬開催をもってダービージョッキーでもある

関東の柴田政人調教師と伊藤正徳調教師が引退します。

柴田政人さんといって思い出すのは、アローエクスプレスや

ファンタストやミホシンザン、ミホランザンにウイニングチケット

です。

アローエクスプレスは、とても綺麗な馬で、ライバルであった

タニノムーティエが立ちはだかり、クラシックは取れません

でしたが、スピードがあってとても人気がありました。

高松厩舎のファンタストも当時、仲間内で今でいうPOGを

やって、ドラフトで獲得し、見事皐月賞に優勝してくれました。

不運にも休養先の函館で急死してしまい、悲しみにあまり私は

高松厩舎にお悔やみの手紙を書いたところ、高松調教師より

厩舎の皆がショックで悲しみに打ちひしがれていますとの

お返事を頂きました。

とても利口で優しくて名前のとおり、本当に美しい馬でした。

ミホシンザンは、あの偉大で私が神の馬として今でも尊敬して

いるシンザンの子として生まれ、見事、皐月賞と菊花賞に優勝し、

シンザンの代表産駒になりました。

ミホランザンもスピードがあった馬でした。

ウイニングチケットで長年優勝出来なかった日本ダービーに

優勝したのですが、優勝インタビューで柴田騎手が「世界中の

ホースマンに、第60回日本ダービーを勝った柴田政人ですと

伝えたい」と言ったが印象に残っています。

伊藤正徳といって思い出すのは、やはり仲間内POGで獲得し

私に初の日本ダービーをもたらしてくれたラッキールーラです。

名門尾形厩舎の馬で名伯楽尾形藤吉調教師の8頭目であり

最後の日本ダービー馬です。

当時、500キロを超える馬は日本ダービーには勝てないと

言われていましたが、ジンクスを破って優勝してくれました。

最後の直線で皐月賞馬ハードバージとデットヒートを演じた

時には、大声で声援を送りました。

また、その時の日本ダービーのプレゼンターは竹下景子さんで

当時私もファンだったので、最高でした。

当時の優勝記念写真は、友人がパネルにしてくれたので、

今でも保管しています。

お二人が騎手を引退された時も残念でしたが、調教師をも

引退されると聞き、とても寂しく思います。

これも時代の流れなんですね。