結婚して一年が経つころ、義母が亡くなった。癌だった。
義母と私の付き合いは、たったの1年半ほどしかなかった。
とても素朴で、お料理が上手で、野菜を育てるのも上手だった。
こちらに干渉してくることもなく、とてもアッサリとしていて楽だった。
母を亡くしている私にとって、10数年ぶりにできた「おかあさん」。
少しずつ仲良くなれたらいいな、いろんなことを教えてもらえたらいいな、そう思っていた。
まさか、結婚してたったの1年で亡くなるなんて。
夫はもちろん心を痛めていた。
私も突然の別れであることと、自分の母親も癌で亡くしたことから、過去を思い出し、その姿を重ねて心が辛くなった。
お通夜、葬儀、四十九日を終え、新居に戻った私たち。
夫は、仕事を変えることを考えはじめていた。
住む場所も、実家のある方面の方が良いと改めて感じたようだった。
少しずつ情報収集をはじめ、転職候補が浮かぶも、10数年勤めてきた会社を辞めてまったく違う形態の働き方となることを考えていたので、夫も私も慎重だった。
ましてや、肉親を亡くした直後であるため、精神状態も平常時とは異なる。
行動を起こすには、時期尚早だとお互いに感じた。
私は、義母を亡くしたことと、子供ができないこと、周りに友達がいないことから、就職を考えはじめた。
地元の友人が何人か大学事務をしていて、気になっていたことから、大学事務の求人に応募した。
ありがたいことに、採用されることになった。
結婚して1年。私はまだなかなか馴染めない土地の、とある大学で、事務職に就くこととなった。
仕事はめずらしく楽しかった。
おそらく今までで一番性に合っていたのではなかろうか。
破天荒で言いたい放題の教授がいる教員室での事務だったのだが、あまりに言いたい放題なのでこちらも言いたい放題になった。笑
結果、相性が良く、教授とは今でも年賀状のやり取りが続いているほどだ。
同僚にも恵まれ、場所が大学ということもあって、学食でお弁当を食べることも新鮮で楽しかった。
同僚や、同室の教員とも少しずつ親しくなり、個別でご飯を食べるようにもなった。
地元が近い教員もいた。
お互いの話し方が同じで、歳も近く、これまた仲良くなった。
学生たちは皆キラキラとしていて、その姿を間近で見るのも新鮮だった。
自分の大学時代を思い出し、先輩を思い出した。
今ここにいる学生も、一生心に残るような恋をしているのかもしれないなと思った。
30歳を超えてから学生を見れば、ずいぶん若者に見えるけれど、学生だったあの頃の自分はすっかり「大人」で、一人前に恋をしているつもりだったから。
仕事に通いながら、不妊治療の専門クリニックにも通った。
待合室で待っていると、「こんなにも不妊で悩んでいる人がいるのか」と驚かされた。
そして、通い続けるには、経済的にはもちろん、精神的にも身体的にも負担が大きいと感じた。
検査結果的には、夫の精子の運動量がもう一つなのと、私の女性ホルモンの数値がもう一つということだった。
薬を飲んだり、注射を受けたりした。
タイミング指導もあったが、今ひとつ上手くいかなかった。
年齢的にもそんなに若いわけではなかったので、人工授精にステップアップしようかという話になった。
また年が明け、結婚から2年が経ち、義母の一周忌が終わるころ、夫の転職が現実味を帯びてきた。
そして2月半ば、夫の転職が決まった。
私たちは、実家まで高速で1時間半ほどの距離にある町に引越すことになった。
私は泣いて喜び、丸一年勤めた大学事務を辞めた。
教授はとても惜しんでくれた。ありがたかった。
不妊治療のクリニックも辞めた。
引越しまでに2回人工授精をしたが、ダメだった。
でも、引越せることになったしもういいや。
向こうに行けばきっとできる!そう思っていた。
せっかくできた友人と離れるのは辛かったが、引越せる喜びは相当のものだった。
この時の友人たちとは、あまりに距離があり、お互いに子供もいるので、まだ再会できていない。
でも連絡は取り続けている。
私があの町に住んでいた証。
何とか頑張ろうともがいた証だ。
そして、3月末、私たちは今現在も住んでいるこの町に越してきた。
そして翌4月、私は女先輩と再会したのだった。