アウェイな土地での新婚生活は、思っていたよりもストレスだった。

 

 

まず、言葉が違いすぎる。

 

 

最初、宅急便の不在票に書いてある、ドライバーの携帯番号にかけた時は目を、いや耳を疑った。

 

 

「え・・・?いま、なんとおっしゃいました・・・??」

 

 

もう一度言ってくれたけど、聞き取れない。

でも、何となくのニュアンスは分かったので、もうそれでよしとした。

 

 

スーパーのおばちゃんのしゃべる言葉も、一応は分かるけど馴染みがなさすぎて落ち着かない。

散歩で出会うお年寄りの言葉は、聞き取れなかった。

 

 

夫の参加していたスポーツチームで知り合った現地の人も、とてもフレンドリーに接してくれたけど、お互いの言葉の響きが違いすぎて、なかなか親しくなるのが難しく感じるほどだった。

 

 

「好きな人となら、どこででも平気!」

「いろんな土地に住んで、いろんな経験をしたい!」

 

 

と若かりし頃は思ったものだったが、私には合わなかったようだった。

 

 

確かに、振り返ってみれば、地元か、海外にしか住んだことがなかった。(海外は親の仕事)

海外滞在が終わったあとは、また地元に住んでいたし、海外では親がいたので必然的に守られていた。

留学もしたけれど、それはあくまで「留学」で、帰る場所は実家だった。

 

 

大型連休で地元に帰ると、馴染みのある地名が高速道路の標識に出るたびに歓喜の声を上げた。

実家に帰ると、家の佇まい、周りの景色、慣れた色の空、肌に馴染む空気。

そのどれもが愛しくて、新居に戻りたくない気持ちでいっぱいだった。

 

 

私の実家と夫の実家は、車で1時間の距離なので、こちらに帰った方が住みよいのは明白だった。

でも、あまりその気持ちを前面に出すのは夫も困惑するだろうと、言わないようにしていた。

言わなくても、滲み出るどころかダダ漏れだったとは思うのだが。

 

 

言葉のこと、土地のこと、そして家族のこと。

母を亡くしていた私には、父の存在がとてもとても大きかった。

近くに住みたい。夜通し高速を走らなければ会えないのは、ちょっとあまりにも遠すぎる。

父は幸い元気な人なので、特に寂しそうとかいうことはなかった。

寂しいのは、私の方だった。

 

 

そんな新婚生活を送っていた私たち夫婦は、結婚式と新婚旅行を終え、「子供」について考えるようになっていた。

 

 

お互いに子供は欲しいと思っていたので、さっそく挑んでみた。

 

 

そんなすぐには授からないだろうと思っていたが、まさかここから3年もかかるとは思わなかった。

 

 

毎月撃沈しては、再び挑む日々。

 

 

そういえば、先輩のところも、子供がいないんだったな。

先輩は、学生のころから「子供が欲しい」と言ってたな。

女先輩は、どうなのかな。

そんなことも頭をよぎった。

 

 

子供が欲しいと思っていても、思っていなくても、授かる時は授かる。

でも、授からないのがこんなに心身ともに辛いとは、知らなかった。

まるで自分が母として認められないような、女性としての機能がないような、そんな気持ちにさせられた。

 

 

私の気持ちは暗くなっていった。

夫は、「空の上で(赤ちゃんが)順番待ちしてるんだよ」と毎月慰めてくれた。

この人と結婚して良かったと思った。

 

 

…でも。私は怖かった。

家族が欲しくて結婚したのに、子供ができなかったら、私の結婚した意味はどうなるのだろうと。

夫のことは大切だけれど、一生この人と二人きりで過ごすのは、想像がつかないと。

相手が他の人だったら、子供ができたのだろうかと、それはもうぐるぐるぐるぐる。

 

 

私は新婚生活をはじめてから、仕事には就いていなかった。

もともと仕事に情熱を持てる方ではなく、その割には真面目に(?)働いたので、少しゆっくりしたかったのと、すぐに子供ができるだろうと思ったからだった。

夫も同じ気持ちでいてくれた。

 

 

慣れない土地で、夫は仕事の帰りが遅く、友達もおらず、ただ妊娠を待つ日々。

ツライ、地元に帰りたい、そうすれば気持ちが落ち着いて妊娠するのではないだろうか。

 

 

そう思って数ヶ月が経ったころ。夫の母が亡くなった。