2011年3月11日 仙台空港
あれから5年半
東北旅行の最終日は宮城県の閖上地区を訪ねました。
こちらは、震災当日の画像。
閖上地区の入り口の5差路にある歩道橋です。
現在の歩道橋。
この歩道橋から 1キロほど東へ行ったところに鎮魂の丘「日和山」があります。
そして、この「日和山」の正面には慰霊碑もあります。
慰霊碑の高さは津波と同じ「8.4メートル」だそうです。
この辺りは水の底だったわけですね・・・。
そして、かまぼこ「佐々直」の旧本店工場は
震災遺構として当時の姿を残していました。
今回の東北旅行で一番、印象深い思い出となった「閖上の記憶」
プレハブ小屋の中は、地元有志だけで運営されている数々の品がありました。
地元の住民が撮影したショッキングな動画も見せて頂きました。
閖上地区で亡くなった中学生たちはこの日、卒業式だったそうです。
謝恩会のために公民館に集まっていたところ、津波が来て
より高台にある中学校へ逃げようと移動したところ、津波の犠牲になったといいます。
小屋には募金箱があり、箱には小銭が中心に入っていたのですが
私は復興を祈る気持ちから自分の財布の中の1000円札に指をかけました。
すると、妻と目が合いました。
おもわず私は小声で
「多い?」 と聞きました。
妻は恥ずかしそうに
「いいから早く」 と促します。
背後には、いろいろ説明してくれたお爺ちゃんが見守っています(笑)
結局、そのまま1000円札を入れて小屋を出たのですが
車に乗ると2人して大爆笑。
妻は「なんで、1000円でドヤ顔してんのよ~!」 と。
どうやら妻は、私が1000円に指をかけた時に
ドヤ顔をしているように見えたようだ。
そうじゃなく
「他の人は小銭ばっかだったから1000円は多いかな、と」
そんな緊迫の一瞬の”読み合い”から起きた最高の間でした。
小屋から車で5分。
閖上地区を壊滅させた津波から町を守ろうと出来た防潮堤。
高さは当時の8.4メートルに満たないものですが
水の勢いを弱め、避難の時間を稼ぐ、などの意味合いが大きいと
お爺ちゃんが話していました。
津波にやられた閖上中学は今はもうありません。
すべて更地になっていて、住宅の建設が予定されているそうです。
閖上地区の更なる復興を願い、宮城県を後にします。
常磐道は渋滞もなく流れていました。
しかし、この旅行中ずっと雨でした。
福島県の、ニュースなどでよく見る地名が近づいてきました。
放射線量のモニターポストが、旅の終わりのたるんだ気持ちを引き締めてくれました。
常磐道は、全面開通となったものの、二輪の走行を一部禁止したり
まだ完全ではないようです。
帰還困難区域では、人の気配がなく
それ以外の場所でも住民の姿はなく、作業をする業者の姿だけがありました。
ようやく見慣れたところまで戻ってきました。
霞んだ空に牛久大仏はちょっと不気味(汗)
3泊4日の東北旅行は、あっという間でした。
バイクで行けなかったのは残念ですが
結果として、ほぼ毎日雨だったのでこれは不幸中の幸いと言えます。
被災地に行ける人は、
自分の目で見て、自分の足で歩いてみることをお勧めします。
そして、ガイドブックやネットだけに頼らずに、
ぜひ、地域の人に話しかけてみてください。
旅行総額 9万4,101円
総走行距離 1373.3km













