1月3日の午後に万座のゲレンデで倒れ
前橋市内の病院に12日間入院していました。
1月3日 午前9時
湯沢ビクトリアホテル前でのショット。
何故か、兄との2ショット(笑) @撮影:相棒
午前9時30分
湯沢から万座スキー場へ移動します。
午前10時
ユニクロ沼田店にて、ヒートテックタイツをお買い上げ。
若い頃はウェアの下にタイツを履くなんて考えもしなかった(汗)
正午
万座ハイウェーを通過。
気温は3度、風は殆どない。
午後1時
万座スキー場に到着。
ヘルニア手術から3年ぶりのスキーに胸が躍る。
午後1時30分
この写真の30分後に、ゲレンデの隅で動けなくなります。
3年ぶりのゲレンデに気を良くした私は、取りあえずは山のテッペンを目指しました。
途中、高校生の甥っ子とスピード競争を楽しんだり・・・。
しかし、実は一本目のリフトに乗った時からある種の”違和感”を感じていました。
高速リフトの中で、相棒に「疲れた・・・今日は何だか疲れた」を連呼。
まだ滑り始めて間もないのに、です。
きっと、この時から既に体内の酸素が失われていて、
カウントダウンは始まっていたものと思われます。
初級コースを、皆でゆっくり降りてきたところで、私の体力は限界に。
家族を先に行かせ
私は、膝に手を置いた状態で体力の回復を図ります。
しかし、疲れの原因が、筋力の問題ではなく
少しずつ締め付けられる心臓への圧迫感だということに気付く。
とはいえ、皆が待っているので、気力を振り絞ってその場を動いてみた。
20メートルくらい、滑走しただろうか・・・一段と激しい胸痛に襲われる。
気を失いそうな痛みと、圧迫感。 もう1メートルも動けない。
その場に大の字になった。
やがて、ウェアを通して雪の冷たさが突き上げてくる。
気力を振り絞り、態勢をチェンジ。
胡坐を掻いた足の中に頭を突っ伏す形を取ってみた、少しだけ楽になった。
皆、待ってるだろうな・・・
そんなことが脳裏を過ぎるも、リュックの中の携帯を取り出して電話をする気力はない。
そのうち、兄からトランシーバーの呼び出しがかかる。
「そうだ、トランシーバー持ってたんだった・・・」
20年来、使い慣れたトランシーバーのことを忘れるほど、私はテンパっていたようだ。
胸が苦しく動けない旨を兄に話すと、相棒がすぐに迎えに行く、との知らせ。
暫くすると相棒が駆け寄ってきた。
「大丈夫?」
「・・・」
話すのもツライ状態にまでなっていた。
この辺りから、記憶が少しずつ断片的になってきます。
そして、レスキューの男性2人が運ぶ担架に乗せられ、どうにか下山。
スキー場の救護室にて、点滴とニトログリセリンを処方してもらう。
しかし、胸痛は一向に収まらない。
だが、ここからがラッキーの連続。
この日、スキー場の救護室に居た医師は、なんと東京医大の先生。
それも、救命救急のセンター長という神の手を持つ偉~い人。
その先生の的確なファーストエイドが、私の命を救ってくれたらしい。
また、これから起こる可能性を相棒に説明し、
いつの間に書いたのか、ヘリのドクターへの申し送り書も準備していたそうです。
次のラッキーは、
万座温泉スキー場を管轄するプリンス系ホテルのスタッフの協力。
なんと、支配人自らが陣頭指揮を取り、
ドクターヘリの着陸などに尽力してくれたそうです。
そして、ドクターヘリのパイロットが
ゲレンデ脇の観光バス用の駐車場に、急きょ、着陸を決めてくれたことも
搬送への大きな時間短縮に繋がったということです。
その他、
晴れで、無風だったことや、日没前に搬送が間に合ったことなど
数多くのラッキーが重なった、と、前出の医大のセンター長が語っていたそうです。
今回の件は、ドクターヘリの スタッフブログ に掲載されています。
救急車ならば、2時間かかるところが、ドクターヘリではおよそ20分。
こうして、私の命は救われたのでした。
今回、お世話になった「前橋赤十字病院」
テレビカードは売店で記念に頂きました。
ドクターヘリのヘリポートがある東館9階からは
手前右側に群馬県庁が、左手奥には浅間山が見えます。
三が日の最終日に入院し、12日間でやっと退院できました。
久々のシャバでは、やっぱり気になるのはジャンクフードです(笑)
アラフォーやアラサーの皆様。
私は、毎年、人間ドックで、車検ならぬ、”人検”を受けていますが
今回のように、来るときは勝手に来るし、逝くときも勝手に逝くのだということがよく分かりました。
どう考えても生活習慣病であることは否めないので
今後は、禁煙と減塩を頑張って行こうと思います。
秋には家が建ちます。
今回、万が一、命を落としていたら・・・と思うとゾッとします。
皆様も健康にはくれぐれもお気を付け下さいませ。











