毎年、夏が来ると思い出す・・・。
「BEACH BOYS」
海都と広海が繰りなす青春ドラマ。
1997年夏にはじまり
「ビーチボーイズ現象」なる言葉まで飛び出した。
今の仕事をスカーンと辞めて、海の家で働くことを
実際にやった人が居たとか・・・。
でも、その海の家には、真琴も春子さんも居なかった(当たり前)
結局、後悔したとかしないとか・・・。
そういえば、シゲちゃんが茶髪のロンゲにして
細めのグラサン掛けてたっけ・・・
(完全に竹之内になりきってた(笑))
俺は、といえば、29歳の夏。
「30歳になる前にサーフィンやるぞぉ~!」
と、勢いそのままに
たった一人で太東海岸のサーフィンスクールに入った。
もちろん、当時の愛車デリカの中には
ビーチボーイズのサントラ積んで・・・
(心はすでに、マサル社長だった(笑))
サーフィンDEBUTの朝は
6時にショップ集合だったが、俺は3時に起きた(笑)
そして、いつも通り
朝シャンしようと風呂場に向かったけど
「どうせ海入るからイイか・・・」と、
朝シャンするのを思い直したのが、とても懐かしい。
初日はひたすらパドリングに明け暮れた。
パドリングがあんなに難しいとは思わなかった。
よく、
「立てる、立てない」が話題になるけど
あれは、実際にやってみたことのない人の会話。
実際やってみると、「立つのは簡単」
問題は、背後から追いかけてくる波から
適度なスピードで逃げながら、適度なタイミングで乗ること。
つまり、パドリングで適度なスピードが出せないと何も始まらない。
というか、そもそも、パドリングができなくては沖にも出られない(笑)
まぁ、リップカレント(離岸流)を使って
沖に出るという技もあるけど・・・
それでもパドリングは、最重要課題だと俺は今でも思う。
そして、テールの辺りから、グワっと波にまくられる感じがしたら
すぐさま、テイクオフだ。
この「すぐさま」がまた難しかった・・・。
早すぎれば、波に乗れないし
遅すぎれば、ボードの下を波が追い越して行っちゃうし(汗)
ちなみに、波が追い越して行ってしまった後に、
大慌てでテイクオフした俺は、
ポツンとボードに立つ自分を
何度、360度パノラマの景色の中で、恥じたことか。
誰も見ちゃいないのに、海水に居る全員が
この”下手ぶり”を見ているような錯覚に陥った。
そして、気付けば人の少ない場所を選んで陰練に明け暮れる。
結局、Debutの日は、
プロの先生に押してもらった(勢いを付けて乗る波を選んでくれる)
数回しかテイクオフは出来なかった。
あ、ちなみに俺は
デカイ・重い・年齢も30歳弱という3重苦で(笑)
先生の勧めから「ロングボード」をやってました^^
一般的には9フィート(270cm)以上のモノをロングと呼びます。
俺は、3重苦だったので、3mくらいの板を借りてました。
そして、板の厚みも通常のモノより極厚で(浮力が違うんです)
そんな俺は、2度目のチャレンジの日
プロの先生のインストを断り、板のみを借りて海に出た。
金をケチった訳ではなく、”俺流”の陰練を極めるため。
俺は人に教えるのが好きな人間です。
しかし、人から教わるのは苦手です。
割と、基礎だけ聞いて「あとは放置で!」ってタイプ。
それで自分の中のパターンを全てやりつくして
それでも出口が見えないときだけ
「教えて!」ってのが(調子イイ(笑)) いつもの俺流です。
幸い、2度目の練習でかなりコツを掴んだ俺は
毎週のように、
早起き→海→夕方、車で仮眠→夜はローカルの人とカラオケ・ご飯→帰宅
こんな休日を過ごした。
中でも、最初に教えてくれたプロの先生(年下だったけど)は
今、思い出してもカッコ良かった・・・。
もう、雑誌からそのまま飛び出して来たかのような
さわやかイケメン(当時はそんな言葉ないけど)
全身小麦色で、それでも海に入るときは、鼻のてっぺんだけ
チョイチョイって、白い日焼け止めを塗って、
海に入る姿が忘れられない。(この仕草がホントカッコ良かった)
自分の頭の中の備忘録のため、と
ここまで書いてきたけど、9年も経ってるのに
ここまで鮮明に記憶しているのなら備忘録なんか要らないか、
と、思い始めた(笑)
まぁ、とにかく、サーフィンは楽しいです(楽しかったです)
女の子はすべて可愛く見えるし(ゲレンデと一緒かな)
海で挨拶した人は、すべて旧知の関係に思えるし。
だから、このCDを聴くと、あの頃がブワっと思いだされて
あの海に行ってみたくなるのです。
今度、MP3に入れて
バイクに乗りながら聴いてみよう!
気付けば「布良海岸」に居るのかな・・・。

