今回のKyoの文章は、事実に基づいたパロディーではありません!
一つは、或るかなり恵まれた、両親が社会的立場を確保している人物の触法行為に関しての“精神医学の立場”を完璧に貫いた体験がある。この人物は、「自分の入院に関して“不法である!”」と訴えました。Kyoは、<この人物の“論理的訴え”を“正常である”>と判断し、<この人物の“認められた能力と望まれた輝かしい未来”を考えて、“入院へ至るプロセス”に“違法性が在る”と、判断し、“院長同席状況”で、“警察署所長と巡査部長?警察課長?”に、“法的には退院が正当である”>と告げたのです。その瞬間、彼らは、<“一歩でも、病院から、外に出たら、その人物を逮捕する”と述べたのですが、Kyoは、“その行為が、法的に正当であれば?どうぞ!そう為さって下さい!”>と告げて、その人物には、Kyoができ得る可能性を告げました。つまり、Kyoは、<“精神医学的立場で、その人物の社会的行為?が、触法であるか?否か?”を問わない立場>を貫いたのです。
そして、不思議ですが、この人物は、逮捕されずに、Kyoが提示した、<“外来次元と云えるかも知れない、人間の相互承認・相互信頼・相互尊重を目的とした条件付きのインタビュー”>を希望したのです。
Kyoは、長年、精神分析次元の多様性に向き合いながら、特別なサービスを続けましたが、結果的には、“象徴的負債”を、負わせてしまう結果を、セッションの経過の録音を聴きながら、残念に思っていますが、<“学術的新次元”への“貢献になる”と確信できた事実がある>ことに納得し、<“国際的学術な舞台”での“歴史的な論理過程の理論”を“レトロアクティブな証明”に出来ましたので、“報告”が可能に為りました>が、事後的な関わっている“家族及び治療的関係者各位”の“役割と責任と義務”に関しての“課題”は、とんでもなく大きいでしょうね?
オランダ人女性を殺害し、“カニバリズム”と云われる“食人行為”を、フランスで起こした、佐川氏は、フランスでは、“司法医学の対象者”に為っていたのですが、日本では、“明確にされない状況”で、“国際的社会問題”にも成りませんでしたね?
もし、佐川が、<日本で、“全く同じ行為”を行なっていたとしたら、Kyoの考えでは、“あっという間に死刑が決定された”>と、思いますが、“如何ですか?”
日本では、<“人を殺害し、殺害した人物”が、“海外のジャーナリスト”に、“殺害行為に纏わる体験報告”が許される国家と為っている>ことを、<“日本人は、世界に対して、どの様に?答えられるのでしょうか?”>と、Kyoは思ったので、<“セッションの録音”を残している>のは、“何故か?”が、判ると思います。
<“司法精神医学及び鑑定医学”の“所見”に関しての“鑑定判断”は、“医学に属している事実”から“日本では厚労省の大臣”の“判断に委ねられる手続き”に為った後、“法務大臣の結論に委ねられなければ為らない”という“手続きと判断”に為るのが、“法治国家の原則”に為っているはずです>、が?“如何ですか?”
日本という島国は、<“佐川と同罪の如く狂っている”が、“犯罪が重ければ重い程、気楽な立場の人達”の“天国”と為っている>と云われても不思議ではない国家なのでしょうね?つまり、<“国民を犠牲にして、好き放題、マスコミ相手に、自分体験を、ノウノウと、表現できる国家である”>と、云えるのですよ!
佐川は、この事実を、証明した人物でした!
間違いでしょうか?日本国の医学管轄に在る大臣及び法務大臣と最高裁の判事の見解をお知らせください!
Kyoより