Kyoが、主体になって、書き進めている文章を、皆さんが、読めるように、致しましょうね。

兎にも角にも、面白いから、楽しんで下さい!

 

 ご存じの通り、Kyoが、日本に帰国して、精神科医療に参加した時から、かの有名な、神田橋條治先生に、鹿児島で、初めて、お会いした時に、先生に、言った通り、<僕の治療は、人間の大脳辺縁系に、働きかける治療の実践です!>を、今でもやっているよ。

 <何故か?>、<その?真意は?親医は?親意は?信意は?深意は?........∞?>、殺害された、安倍晋三元総理の言ったらしい、<そ・ん・た・く:So/nn/ta/ku:忖度?忖度?損択?孫卓?.....?>とは、<まず、何で?>、<この言葉を、音で聴いた人は、何を?何と?聴いて?何と?聞いた?のか?>の疑問がありませんか?

治安が行き届いているといわれるこの日本で、<安倍元首相が、暗殺された?>という事実は、誰にも変えようがないけど、Kyoは、<公安を始めとする“真の意味での監視組織体”のずさんな在り方>が、日本の国内で、悲劇的で、改ざん型の偽装の事件を起こし・起こさせる仕組みを、<暗黙の了解の如く、黙視してしまう在り方>が、歴史的な過去の事件に、見られると思う。

 Kyoの勝手な推理で、申し訳ないけど、<赤軍派の事件>や<オウム真理教の事件>等は、<大事に至らない前に、完璧に抑止できていたはずだ!>と確信するね。

何故なら、<Kyoがトップだったら?如何なる?身内の中での、仕事に対する反社会的人圧があったとしても?><出世を捨てても、国民及び国を守る!>を優先するからだよね。

 つまり、<ちんけな欲を捨てる生き方かな?>

此処まで来ると、<情報(=Kyoが、日本に帰国して、国際催眠睡眠学会のシンポジウムの次の機会で話をしたIn-forme-ation)とは、何?>という命題に行き着いて、<任意で、選択する要素群の、論理的次元に、何が在るか?>と、自問せざるを得ない命題が次に出てくる事態に遭遇してしまう。

この仕組みは、実は、<権力とメディア>というような<ちんけな命題の次元>には存在してはいない、<人間として、個々に、存在している、”個々の欲”>に起因しているだけだよ。ここで、Kyoが、推理、類推してきた<日本人と大きな事件の相関性>が、解けた気がしませんか?

色んな持論があっても、例えば、日本国内ではない、かつて、<関東軍と称された集団が、満州で起こした事件とか?>、今の時代だからこそ、Kyoは、考えるね。

そこで、日本の現状とこどもの問題について書いてみます。

 

 

「日本の現状とこどもの問題」

 

 思い付きで書いたので、読みにくさや、誤字脱字が在ると思いますが、読める文章には、なっていると思います。

いずれ、整った文章に致します。

 

 既に、ワープロ時代からパソコンが普及し始め、ソニーのプレイステーションでのゲームが出現した時代から日本のこども達にある種の異変が起きていたことを考えないと、タブレットやスマホ時代のこども達の問題を理解することは困難と思われる。当然、「いじめによる自殺」を体験していた学校への関りも長年に渡り関わっていることから、教育現場における生徒達及び校長を始めとする教育者達への支援が如何にあるべきか?、を痛いほど体験している。

  

 数年間、NPO法人「こどもとメディア」の理事を引き受けていた時代に、少年達が初犯で凶悪事件を起こす社会状況が目立ってきている状況が語られたことがある。ある貴重な、社会・心理・生物学的視点に位置付けられる研究に結び付けられたら良かったのだが、これらの凶悪な少年事件に関することは、今も、警察と家庭裁判所の統計的数値として公表されているだけのような気がする。

 例えば、発達障害とは、全く異なる臨床カテゴリーに在るPsychose ordinaireのような、構造的な次元でしか見出せない疾患の見落としと、「ゲーム」の影響から始まり、「モバゲー」による「性化された情報の散乱の中での思春期の女の子達の売春行為」や「学校の裏サイトでの悪性情報の拡散」等での問題が深刻化していき、学校現場の脆弱・弱体化が加速して今日に至っている。

 

 ここで、こどもの発達・成長過程における現実の視覚野の次元が、どの様な様相になっているのか?を、構造論的に考えてみたい。

 

 光を感受した網膜細胞の興奮は視神経(第2脳神経)を経由し視床に送られる。外側膝状核は色や形などに信号を分け、後頭葉の一次視覚野に情報を送る。視床下部にある視交叉で左右からの視神経は二分され、右からの光は左脳へ左からは右脳へ送られる。一次視覚野から連合野に送られる情報は、物体の認識に関しては側頭葉で処理され、図形など空間の識別は頭頂葉で処理される。

 

 最近、子ども達が母胎内及び誕生後の発達・成長環境への懸念が、社会的に大きく成りつつあるのが現状である。この問題を、子ども達を取り巻くメディア環境に関して取り上げ、赤ちゃんの身体に関する機能及び人間の臓器の中で最後に機能・機構・組織化を形成しながら成立する機序と構造化される眼球を通しての視覚野について提示する。

 

 赤ちゃんの眼差す目は、生まれたてでは眠っている時間が長く、「ぼんやりで輪郭を視覚的に把握できない状態」で、多分、「徐々に、光源の三原色を中心に無輪郭像として知覚されている視覚像が、ぼんやり輪郭像へ形成されていく過程」が、「音源(=声)・愛着対象である他者(=母親が代表者)」の輪郭像の形成段階を経て、目の機能が「光学モデルの機能」として機構・組織化され、視覚野の機序が構造化されていくと思われる。

 

 赤ちゃんにとっての「愛着・音源対象である母親」との関係を軸に「視覚野の構造化」を可能にさせている事実は、母親のテレビを観ながらの授乳やスマホいじり状況での授乳がいかに「こどもの健全な発達・成長の弊害」になっているかの理解に繋がる。

 このように、構造化された目の機能による視覚野である<つたえ歩きが可能になる時期のこどもの目>は、私論であるが<ピン・ホール・アイ>と言ってよいほど、「驚くような微小の塵」を見つけて指で触るような仕草を見せるぐらいデリケートな「神経系の突起物」といえる。

 

 ここで、大雑把ではあるが、周辺視覚と中心視野(=対象視覚)に関して触れておく。

 

 まず、対象である光源は、その周辺を構成している対象群(視覚野全般に知覚される光景)の中から抽出されるもので、レンズの機能を有する水晶体を光学的に通過した後に網膜上に焦点化された中心視野像を知覚し、側頭葉・頭頂葉で処理され認識・構成される。

 そして、網膜細胞の興奮は、視神経を経由し視床に送られ、外側膝状核で「色」「形状」などに信号として処理され、後頭葉の一次視覚野に情報として送られる。後頭葉の一次視覚野から連合野に送られる情報は、物体対象の認識として側頭葉で処理され、図形など空間の識別は頭頂葉で処理される。

 

 また、忘れられがちだが、五感感覚で一番遅く発達し機能・機構・組織化の機序が構造化されるのは眼球光学機能によって知覚される視覚であることの大切さである。

 

 さて、ここで、固有受容覚についてちょっとだけ触れることにする。いわゆる、筋肉系では、手のひらの中心に感覚される立体覚は、比較的重要で、脳梁が交差点になって成り立っているラテラリゼーション(=右脳と左脳の両側の側性化)を終え、協応及び協調運動を制御する運動野の発達と視覚の発達には切り離すことができない。

 

 ここで、液晶画面と視覚への影響と触覚系優位の発達の問題に、もう一度、目を向けてみる。

 ご存じの方も多いと思うが、臨床の次元で記述される視覚感覚同一化=自閉症児(=同一性保持:感覚野と視覚映像の一致)に顕著に観られる現象があるが、この現象は、早期幼児のメディア・ビジョンへの関心の度合いの大きさにも観られる。

 そして、早期の時期にある幼児たちの視覚情報の処理が、側頭葉優位になる傾向が強くなりすぎてしまう可能性があり、頭頂葉での三次元空間での立体像や図形の認識が弱体化する危険性は否定できない。特に、最近のこども達の呈する頭痛・吐き気・倦怠感・不登校を症状として抱えている一群の全てが、「精緻な漫画やイラスト画」を描くことを得意とし、You Tubeを始めとする動画にもかなりの時間を割いている事実がある。

 

 こどもの視覚野の健全な発達は、最終的には、言語によるジクソーパズル化されるような<母親を代表とする他者の示す対象に、こどもは関心を示しながら共同注視の構造にある対象>を集積し、<視覚世界を言語世界と同一化しながら視覚野を統合し自己像の形成過程>が、時空間の三次元化した世界として保障される。

もし、母親の不在の状況での、<メディア・ビジョンの母親の代理>がなされ続けると、自閉症の如く、視覚感覚同一性を強化してしまい、<距離感を含めた空間把握の不器用さ・視覚情報の継時的・同時的処理の不器用さ>と<他人との情緒的交流の貧困さ・状況認知の困難さ>を生み出す。

 

 そして、前述している立体覚の発達の乏しさと触覚系の発達の問題を比べると、次のような考え方が見出される。それは、脳梁と大きな関係を有していると思われる指先を中心にした触覚系と視覚の協応性や協調性が極端な発達を示すことが多いという視点からの考えである。この視点に立てば、前頭前野を網膜細胞の興奮から生み出される視覚神経回路の短絡的な脊髄反射的行動パターンが優位になってしまうことが理解できる。

 この次元にある臨床的な徴候学的特徴をあげると、待機時間に対する不快反応型行動が衝動性の亢進として出現するなど精神機能や神経系の機能に異変を生じさせている病的現象を発見できる。具体的には、<不快耐性の低下><葛藤耐性の低下><不快・葛藤回避行動パターン><情動処理不全による破壊・衝動行為の亢進><短絡型行動パターン><睡眠障害><摂食異常><自律神経系の異常による吐き気・頭痛・眩暈・倦怠感><無気力>⇒重症の場合は、<身体接触を嫌悪する触覚防衛を示す情緒の障害><思考短絡型思路障害><排泄行為障害><引きこもり>などが、臨床像として見られる。

 そして、全般的な運動発達面、情緒的対人関係構築レベル、言語的コミュニケーションレベルと受容性及び表出性言語への部分的影響による特異性並びに、視覚情報の継時及び同時処理の偏りを特徴とする問題を抱えやすく、行動面に問題を呈しやすいことが理解できる。

 

 さらに、Lineを中心とした「メディア・コミュニケーションツールを巡って起きている“いじめ問題”」も、かなりデリケートな要素を含んできており、「トラウマ型の原始的退行現象」を呈する一群も増加しているだけでなく、「悪性情動処理不全」による「反射型の破壊的な暴力行為や自傷行為及び不安の肥大や強迫性の亢進」等の症状が目立ってきており、「学童期及び思春期のうつ傾向」も増大している。

 また、別の機会に、詳しく精査してみるが、「発達障害」に関しての基本的な理解・認識不足から生じている「基本的な学習原理に基づいた教育技術及び教育方法の不在」によって引き起こされている社会・家族・教育的不利益の問題の肥大化の加速が見られるようになった。さらに、「コロナ禍」を体験しているこども達への様々な影響の問題をどのように考えて行くか?も、急務である。

 

 先に述べた、「日本の偏差値偏重型の受験」を意識し過ぎた「学習カリキュラムの基本的破綻」は、「大学生の基本的な能力の質」を観れば明らかなように、「日本の国力に必要な人材の育成」には全くなっていないどころか、ますます、世界の中でも、「大学生と称される学生の能力」は、「世界で、最低に落ちっている事実」を、日本国民が知るべきである。もし、仮に、「卒後の就職のために、大学及び教官と企業のみならず、公的機関との繋がり等で、学籍を大学に持つ」ことが目的であるとしたならば、当然のことながら、「日本には、永遠にアカデミズムの成立」が不可能ということになる。

 この次元に在る、「日本の真の問題」とは、「基本的社会的信頼」によって成立しているはずの「コネ(=Conection:関係)」と云われるもので、「コンクールを前提としていない内輪の無競争原理」で、「小さな世界に止まったままの競争知らず」の人間の大量生産システムになっていることである。例えば、先進諸国での海外勤務を例に採れば、「公民関係なく、保障された立場で、高給を貰い、ゆったりと、研修期間を楽しみ、現地の業務に就く」という具合である。場合によっては、「様々な公民が試験を受けた後に採用している次元」にも、「不正採用」が、「競争原理を無視して横行している可能性」も100%否定はできないかも知れない?当然、「公民の人事や移動」に関しても、「日本型の法則(=インサイダー取引型?」があっても不思議ではない。

 

 さて、「少子高齢化」にある日本のこども達の現在の課題をどの様に捉え、未来の誇らしく頼もしい「国力及び世界力」を発揮して行く人材を育むのか?の課題が目の前に、避けられない現実としてあるのであ