Jeanへ

 

ありがとう。

 

大前提としてある基本的な要素で、考えるべきことは、

ラカン理論では、男/女との不可避的な等式が存在しない、と、いうことだね。

Kyoが、記述しようとしたことは、ある意味では、ラカンが、思索したことの次元を、

フロイトの性愛発達理論を、男女の場合ではなく、「性」の次元で、なぞり逢う、

という、論理的な構造の現象を譬えたんだ、ということが、分かった。

<Sagawa Cnnibalisme>の問題は、<司法精神医学の次元>で、論じることなんだね。

 

Jean、ありがとう。

フランス語のレフェランスは、アップします。

 

Mariaに宜しくね。

 

尊敬の念を込めて!

 

Kyoより