Kyoは、このブログで、長い間、手許に置いていたフランス人の研究者の本を参考にしながら書かれていた文章を送ろうとしたけど、失敗してしまいました。

 

それで、仕様がなく、基本的には、精神分析の対象としない政治と宗教の政治に関しての短いメッセージを書くことにしました。

 

何故か?と云うと、「個々の人間が、自らの真実を、自らの良心が、自分で自分を裏切る存在者になる」ことを許して生き続けることが不可能だと思ったからです、

 

人間存在の基本には、<相互承認・相互尊重に基いて人間の名誉・価値・尊厳を守る>という原理・原則が、原則だからです。

 

現在の「自民党のお金と政治の問題」が報じられている日本の政治状況を基本に戻って考えると、<倫理・道徳的価値観が、論理的であり哲学的次元を踏みにじっている可能性がある>と思える訳です。

人間の通常の発達・成長過程を考えると、<自分に都合の良い状況を保障する幼児的対象>を断念し、自立の過程を確保していきます。

 

つまり、自立とは、<幼児的満足の対象を失う>という<対象喪失>を経て可能になるのです。

 

<倫理・道徳の次元に在る良心を裏切って、生き続けることが、果たして、出来るのでしょうか?>

 

<この様相は、自分が自分を裏切って、嘘つきとして、生きて行く姿に耐えながら生きて行く>という事になります。

もし、この様な状況を生き続ける人物が存在するとしたら、<Castrationを否認した幼児的退行を生きている>・<人格障害者で、人や状況を自分の都合の良いように操作しながら生きる>ということになります。

いずれにしても、<物事を論理的に捉え、全体を構成している要素の分析をして、その部分的の要素の全てを統合して、照合すれば、論理的不整合が見出される>という仕組みに成っています。

つまり、<得をする人は、何処にもいなくなる>という論理的原則です。

 

John Lockeというイギリスの経験主義の創始者の生き様と考えは、今の日本の政治状況に役立つと思います。

<法の精神>に関しては、また次のブログで書くこともあるかも知れません。