2019年9月13日 笹塚マッドプール観劇レポ(ネタバレ) | 2コ下のブログ

 岡田彩花が少しでも好きな人にとって、見ずに済ませることができない問題作がまた誕生してしまった。

 


本人は終演後あっさりと、
「今回の役とても個性的だった笑
最近こういう役多い気がする」

と総括しているが、これは実に示唆に富む内容だ。まず一つ目のポイント、(1)個性的な役だったことについて。まあ個性的なんてもんじゃない。仮に交際中の彼女があれだったら、「個性的な彼女でさー」ではすまないでしょ。まあ確かに、極限まで字数を減らしたらそういうことになるのかもしれないが、コレについては重要なので後で詳述する。次に、(2)最近こういう役が多いのか、仮にそうだとすると、それは何故なのか問題について。そもそもヒロインというのは個性的になりがちである。例えば「雨晴れ」の晴美ちゃんは、性格はいたってまともだが、生き霊で、超常現象とセットになっている。「ポセ孫」の渚ちゃんは半魚人との結婚を強行しようとする。「スナウェイ」の睦美は、心霊写真の捏造を生業とする。ここまでは一般論で、彩花だってそんなことを言っているわけではない、ということは承知している。例えば「ヤンキャバ」の美羽ちゃんは、粗暴で攻撃的だが、勝負となれば女の武器を使って金持ちを翻弄する。「女王ステ」のリリィは遺体から生血を啜り、剣を使えば強く、気に入った娘を手下にして、国境も時代も飛び越えてしぶとく生き続ける。「スカッとジャパン」では気の弱そうな中年男性にカツアゲしていたし、「妖怪アゲアゲフェス」では見たものを何でも斬る次男だったし、「ハンムラビの箱庭」のヒナコは善人かと思いきや、黒幕的な豹変キャラだった。共通しているのは、「バイオレンス」と「豹変」で、今回の役はまさにそれに尽きるわけだが、実はこれは単なる偶然ではないというのが私の見立てだ。彼女は既に自らの役者としての新たな能力を解放してしまったので、結果として不可逆的な領域に突入してしまったのだが、今は本人にまだそこまでの自覚がないのかもしれない。しかし、彼女のキラリと光る個性を生かして作品にしようと考えるのは作り手としては当然なので、今後もそういうベクトルでのオファーが舞い込み、同様の役柄で作品が見られるはずである。つまり、彩花の業界でのポジションとジャンルが仮にも確立され、クリエイター達が手ぐすね引いて待っている、俗にいえばお座敷が掛かりやすい状況になっているのだ。このコやるね、こういう時にいい顔をするね、こう使ってみればもっと面白くなるんじゃないか?という注目がされていると感じている。勿論、それは単なる入口でしかないので、同じ方向性ばかりの芝居になるとは思っていないし、模索する中でもっと別の切り口が見えてくることを期待している。何にせよ、本人が気がつかない間に新たな扉を開くきっかけを提供してくれた脚本家、演出家、プロデューサーをはじめ、関係各位には深くお礼申し上げたい。



 彩花演じる雛子は、清志と清らかな交際をしているが、彼が住んでいるシェアハウスの人間関係に不審を抱き、朱美と同様に彼をそこから引き剥がすために「同棲」を打診するという場面から舞台が始まる。まずは取り急ぎ実家で同棲とか言っているのが令和風だが、昭和の時代には同棲というと仮に憧れがあったとしてもおいそれと手を出すことが憚られる覚醒剤のような存在だったし、親をはじめ大人からはコソコソ隠れてするものなので、実家で同棲を始めるなんて選択肢はあり得ない。だからこそ、たとえば「神田川」に歌われたりしているわけだが、背景には体制や秩序に対する猛烈な反抗心があって、眉を顰める大人達をあざ笑い、見せつけようとしている若者の精一杯背伸びした反骨心が明確に読み取れる。今の若者があの歌詞を読んでも、「昭和枯れススキ」と同じような感想しか抱かないかもしれないが実は戦争を境に猛烈に断絶した世代間の軋轢が「何も怖くなかった」などと強がり、あたかも夢幻のごとく懐かしんでみせるという愚劣な態度につながっているのである。歌詞は美しくても、実態はみすぼらしくお下劣で、自分勝手で無責任である。そういえば、あの歌の場面も下宿、即ちシェアハウスだったなあ。
 彩花はもうアイドルを卒業して2年半経った。しかし、普段の言動については現役時代とさほど変わらないコードを維持している。言動ばかりではなく、出演する作品の役柄についても、あたかも事務所NGがあるかのごとく、現役でもできるような、エロ、グロ、反社会性の高い内容を含まない健全なものばかりだった。敢えて露悪に走る必要は勿論ないが、役者として役柄を制約しすぎるのもいかがなものだろうかという懸念はあったが、本作に出たことで、今までは彼女の選択の結果自然と一線を越えなかっただけのことで、事務所NGなんてものは存在しないことが明確になったといえる。彩花は生まれていなかったが、僅か30年弱前に一世風靡したテレビドラマ「東京ラブストーリー」では、ヒロインの鈴木保奈美が「カンチ、○○しよ!」と口走っただけで視聴者はテレビの前で卒倒し、このドラマは長い間不動の地位を築いたのである。○○どころか、同棲しようと提案してしまう雛子のヤバさは、時代が変わったとはいえなかなかの破壊力がある。

 シェアハウス、笹塚プールに乗り込んでも彼はバタバタしていて雛子はなかなか話を切り出すタイミングが来ない。個性的な住人が入れ替わり登場して攪乱してゆく。そればかりか、シェアハウスのリビングには猥雑なムードが不可欠であるかのごとく、「クラミジア知らないわけないだろ!」とか、「あいつ童貞だけどいいの?」とか、「清志の彼女は泊まらずにセックスして帰るのかー」とか、「自家製のカルピス」とか、お行儀の悪いハラスメントに曝され、雛子は徐々に苛立ちを高めてゆく。この辺りは和製人情噺の常道で真骨頂、「耐へ難きを耐へ、忍び難きを忍び…」最後にキレて天変地異が起きる。それは経緯を考えれば必然であり誰も非難できない。


~待ってました豹変~

 雛子に同棲したいとまで言わせた清志はシェアハウスを出ようとするが、要を欠いた住人達が後に続くように引越を表明し、コミュニティ崩壊に直面する。こともあろうか、清志は「同棲するといっても、すぐってわけじゃない」と日和り、雛子は振られてしまう。「やっぱり別れよう、帰る」と席を立とうとする雛子に追いすがる清志、そこで雛子が結構なボリュームで「うるさい!」と一喝。腹の底に響くような声だった。彩花もこんな声が出せるようになったのか、と私は妙な感慨に浸っていた。舞台上では雛子が「みんな死ねばいいのに! 死ね!」と畳みかけ、飛び出していった。

清志を慰めようと、その晩飲み会が開かれる。清志が疲れたといって一足先に部屋に引き上げると、突然雛子が現われ、無言のまま白魚のような手で上田の首を絞め上げる。慌てて引き剥がしにかかる宮本。雛子は全員を睨み付けた上で姿を消す。その場にいた小沢、洋介、健一、チャオは突然のことに固まるが、メンヘラ女怖え! ということで一致し、盛り上がる。

後日、小沢と朱美がリビングで戻る戻らないと痴話喧嘩をしている。朱美がトイレに行き、上田が姿を見せた一瞬の隙に雛子が突然現われ、上田を襲う。床に倒れ込む上田を足蹴にする雛子。小沢が銅鑼を鳴らして警報を発令し、雛子は姿を消す。

上田が自分一人で服が脱げないと、清志を捜し回っている。それを見て朱美は「ヤバいよ」と。そこに三度目雛子が登場する。脱げない服で腕をとられ、視界も見えない上田を足蹴にし、頭を踏んで立ち去る。一部始終を目撃した朱美は「非常事態だよ」と指摘する。

チャオのくだり、宮本のくだりを経て、またリビングで一人になる上田。すると待ち構えていたかのようにドクターマーチンを手にした雛子が現われ、上田をしばき倒す。異常に気がついた洋介が駆けつけると雛子は姿を消した。

尾田理央が雛子にリビングの映像を流していたことや、清志がおかしいことを伝えたということを住民達に告白する。財布を忘れたと言って戻ってきた清志を問い詰める住民、包丁を振り回して逆ギレする清志、そこに雛子も加わって暴れ真回る。まだ清志に未練のある雛子、住民をかけがえのない家族だと主張する清志とはずれたまま。


~彩花に締め上げられたい~



 失恋したが清志を諦められない雛子は何故か上田に執拗に襲いかかる。「俺は女の敵だ-」と気勢を上げていたからかな? あの美しい白い手で首を絞められたらどんな感覚だろうか。文字通りくびったけということになるのだろうか(首ったけとはくびまでどっぷりとつかっているという意味なので、首を絞められることとは異なる)。私は首を絞められることにちょっとこだわりがある。彩花の白魚のような細い手は理想的だ。普通首を絞めるというと、喉仏の辺りを圧迫して気道を塞ごうとするのだが、これでは咽せて苦しいだけである。そうではなく、手はクロスして両方の襟を内側から掴み、締め上げるようにして左右から圧迫するのだ。そうすれば気道はそのままで頸動脈だけ圧迫して脳への血流が滞り、30秒もしない間に気絶する。これは柔道の絞め技の基本形なので、経験者は気絶したり、させられたりしたことがある筈だ。外から見ているとなかなかえげつない画になるが、堕とされる方は、入眠するようにふわっと意識が遠くなり、気持ちの良いことこの上ない。大好きな彩花に締められて堕ちたら、そのままお花畑が見えて天国にスキップして行ってしまいそうだ。人生の最後の瞬間として、これ以上のものはないだろう。実際には、そのまま手を離すか、気付けをすれば意識はすぐに戻るので、天国は入口をちょっと見られるだけである。ただ、最初に気絶させられるときには、このまま死んでしまったらどうしようという恐怖感が半端ない。堕ちる直前から抵抗出来ない状況になるので、相手に全てを、それこそ自分の生命まで委ねるような気持ちになる。自分以外の誰かに命を預ける体験として、こんなに簡単に短時間でできる機会は人生でさほど多くない。だから大人の男女間で首締めがプレイになるのはよく理解できるし、子供達が気絶遊びに興じる気持ちも少し理解できる。無言で無表情に首を絞める彩花を見て、そんな羨望混じりの感覚を覚えた。因みに現実世界で大人の男は、一般人立入禁止と書かれたエリアの多くで、危険な環境だったり機械を使って、同僚に命を預けて働くことは結構多い。たとえばクレーンの運転手に命を預けて荷物をつり上げる仕事だったり、運転手に命を預ける車掌だったり、地上作業員に命を預ける潜水士だったり。だから、命を預けるという経験をしている人は意外に多く、そんなに特別なことでも無いことを補足しておく。

 音もなくゲリラのように現われるのも恐怖感が増していい。役者として演じるのは簡単なのか難しいのかわからないが、観客として客席から見ると、アサシン(暗殺者)に付け狙われたらこういう気持ちなのかと、恐怖心を感じるほど、忍者のように音も無く近づき無表情で攻撃してくる彩花は怖かった。


~彩花に足蹴にされたい~


 ドクターマーチン(ブーツ)でしばく、という攻撃もとてもよかった。細身で非力そうに見える彩花が鈍器を振りかざし、複数回攻撃して耐えられず床にはいつくばると頭を踏まれるという構図、文字通り完全なる屈服である。美人に暴力で屈服させられたいと望む男は世の中に多い。ネタとしてドMと言っているが、実はそういうことを言っているのではなく、魂の距離感の問題なのだ。まず攻撃する側の彩花についてだが、クールビューティーと度々評される彼女が激しい感情を外に出すことは特に公共の場ではまずない。「あっ!」と思っても、声はおろか表情にも出さないで飲み込んでしまうのは性格的なものもあると思うが、アイドルをやっていた頃からある程度クセになっているのだと思う。できるだけ表情の変化がない方が美しく見えるのは確かだ。それが怒りをあらわにして、鈍器を振りかざし、力の限り攻撃してくるというのは、肉親のように心理的距離の極めて近い人にしか見せない彼女の本性の発露といえる。そんな姿を目撃することができるのは、人間なら家族くらいのものなのだ。尚、人間ならと書いたのは虫に対してはどんな場面でも彼女は攻撃性を発揮するので、例外的に彼女の珍しい場面を目にできるという意味である。テレビ制作者もその辺を承知しているので、アイドルの本性をさらけ出そうと虫とか爬虫類を使った罰ゲームを設定するし、視聴者も喜んで見るのである。あれはあたふたしているアイドルを見るのが楽しいのではなくて、普段家族にしか見せない本性を見せてくれることで、心理的距離が縮まった仮想体験ができるのが良いのだ。
 攻撃される立場がどうして嬉しいのか、それは彼女の全力のアクションを己の肉体で受け止めるからである。そりゃあ多少は痛いかもしれないし、心得があれば反撃も可能だろうが、嵐が過ぎ去るまで黙って受け止めるのである。キャッチボールで相手の球を受け止めるのと似ている。そして、完膚なきまで打ちのめされて屈服することで、攻撃側の女性が自分より上位であると動物的レイヤーで表明するのである。自分の攻撃能力はどんなシチュエーションでも彼女には向けることはないという安全保障を示すという意味もある。これは主君に絶対服従を誓う武士の心境に似ている。自分の力は彼女を守るためにだけ使うのだ、と表明することは多くの男子にとって自己肯定感と心理的な満足に繋がるのだ。
 つまり、好きな女性から暴力を振るわれている状況というのは、お互いに体裁をかなぐり捨てて、肉体同士の全力の触れあいをしている場面であって、心理的な距離は極限まで近づいており、お互いのスタンスと関係性を確認する作業を同時にしているのである。私が知る限り、血縁のない男女の関係でこれ以上親しい関係性はないだろう。だから、上田(倫平)に代わって自分が彩花にしばかれたい、と反射的に考えるのは当然の結果であって、またもし自分が彼だったらという妄想ネタを映像として提供してくれる舞台なのである。

 どういう理由でそうなっているのかは知らないが恐らく本能的なレベルで、実は官能と暴力は表裏一体の関係にあることはよく知られている。性的な意味を含まないソフトな例を示すと、「食べる」というのは究極の暴力だ。殺して切り刻んで焼いたり似たりして味をつけて最後は歯で咀嚼して飲み込むということは普段からやっているわけだが、食われる方からするとこれはこれ以上ない暴力である。「進撃の巨人」は人類が食われる立場になったらどう感じるか、ということをわかりやすく表現している。普段食べる一方で食べられる恐れのない人間は忘れてしまっているが、食べられるということはそういうことだ。しかし、食べる方にしてみれば、食事は喜びであり、幸せな気分と直結しているし、好きなものを食べてお腹を満たすという行為は、本来の意味で官能を満足させていることであって、これは誰でも認めることだろう。動物を食べるということの残虐性を理論的に受け止められなかった人はベジタリアンになっていて、そういう人は欧米に多い。日本人は仏教で四つ足を禁じられていて、魚を好んで食べていたので、心理的な抵抗感は低かったのだと思われる。ここまで例示してわかるように、性的な意味でも官能と暴力は直結している。食べることは自分自身の個体を維持するために必須だし、子供を産むことは次の世代の個体を生み出すために必須であって、これは人間が長い間で獲得した特性なので否定してみても仕方が無いし、まずは謙虚に受け止めるしかなかろう。
 映画やドラマや演劇でも、公共の場で供されるものは露骨に性的な表現をすることは憚られる。公然猥褻という問題もあるし、見ている方が恥ずかしくなってしまうという問題もある。宗教で厳しく禁じられているケースも多い。制作側がその代わりに、と明確に意識しているかどうかはわからないが、結果的に採用されている代替策が暴力なのだ。例えばサスペンスドラマでは、冒頭に人が死んで物語が始まる。謎解きの要素もあるし、大抵は時間軸上に分布した複雑な人間関係があって、必然的に殺人に至るという設定が多いのではないか。ドラマで登場する愛憎は結果として誰かの死につながっている。推理を働かせて物語を読み解くという要素も勿論あるのだが、興味や関心が持てない設定であればそこまで一生懸命に考えることはない。そこには「死」というエロスが不気味な魅力を提供しているのだ。死という不可逆なタブーを前にして真剣に魂の交流をする様は、まるで恋人同士の真剣交際だが、男女の恋愛と違って老若男女の組み合わせを問わないのだ。勿論、一対一でなくても構わない。戦争や抗争は集団でそうした交流をしていることになる。暴力は体格や腕力の善し悪しによって序列がついてしまうが、殺人は様々な手法があり、必ずしも物理的に強いかどうかは関係ない。このバリエーションの自由さは逆に男女の恋愛と似ている。単純にタブーを回避するという意味以上に、物語の自由度は却って増すのである。

 今回の彩花の演技にはかなり優れている特徴がいくつか見いだされた。まず、黙っていると美しく聡明で可憐な様子なので、キレて豹変すると落差が非常に激しく意外性があること。次に色白で細くて華奢な体型なので、格闘系の動きは苦手だろうと誰もが思うが、そういう人が大きく重たそうな鈍器や、鋭利で大型の刃物を手にして、あまつさえ上手に使いこなしてみせると、生身の肉体からブーストされる迫力が半端なく、屈強な男性が同じ事をするのに比べると遙かに迫力が得られること。元々声が小さく大きな声を出すのが苦手だったが、すっかり克服して相手を威圧できる「」が出せるようになったこと。元々眼力が強く表情豊かだったが、無表情から鬼気迫る表情まで自在に操り感情豊かに表現できること。元々持っている特性と、後から努力と訓練によって獲得した特性、そして役者としての経験が加わり、見る人をびっくりさせるような演技ができるようになってきた彩花、バイオレンスを発揮させたいと考える作り手が複数登場するのは当然のことだといえる。もちろんそういいう作品にばかり出るわけではないし、本人のやりたいこともあるだろうが、他にあまたいる役者の中でより適性があるのだから、是非彩花には「踏まれたい女優」を目指してほしいと考えている。本人はきっとそんな方向性を望んでいないだろうけれど、細くて白くて美しい外見を持ち、とても素直で優しい性格の持ち主で、人間関係は結構あっさりという特性からは、Sッ気たっぷりの暴君女王キャラしか思いつかない。女王キャラというのは、周囲にそれを認める雰囲気がなければ空回りしてしまうから、誰でもできるわけではないのだ。と、ここまで書いて思ったが、彩花にお笑い要素を付加すると、栗生みなさんそっくりだな・・・(笑)


■あらすじ



★公式のあらすじはこちら。
皆が憧れた「一生青春俺らまじ最高シェアハウス」は一人の狂人の目覚めにより"自堕落の牢獄"と化してしまっていた。

★あらすじの補足
地方出身の若者に人気なシェアハウス。要するに共用のリビングスペースのある下宿のことである。人気の理由はアパートと比較しても家賃が安めであることと、住民同士に自然と交流が発生すること。都会で生まれ育った若者は住民同士の交流などリスキーで煩わしいだけなので敬遠するが、元々濃密な人間関係の中で育った地方出身者は逆に集合住宅でも隣の人の顔もわからないというドライな関係には不安を感じるようだ。
進学のため上京してきた大学生には寮や学生向けの下宿みたいなものがあるが、社会人でも無職でも入ることができるシェアハウスは大学生の身分がなくてもモラトリアムを享受できる施設であり、定職についたり結婚したりすると出て行くのが一般的である。反社会的な、というと語弊があるのであればアナーキーな指向を有し、何であれ責任を負うことが嫌いな人達には、肩書きを得ることと引き換えてでも、期間を定めずモラトリアムを継続したいという要望があって、地方に在住していればそれはソフトヤンキーという形かもしれないが、都市部においてはアルバイトで胡口をしのぐシェアハウスの住人として、本作を上映する劇場周辺あたりに傾向として多く存在することが知られている。
それだけなら別に本人が望むのなら好きにすればいいのだが、ここに日本人特有の濃厚民族的同調圧力が加わると、住民達の仲間集団の継続に何らかの
危機が生じたときにそれを排除する強い力となって作用してしまうことが現実にも存在する。そもそも、中学校の部活動から任侠に至るまで、集団への帰属と引き換えに個人の発言や行動はおろか、思想発想に至るまで同質性を保つために制約を受ける事例は枚挙にいとまがない。
本作はまさにその危なっかしい部分を取り上げていて、正気から少しずつ気がつかないうちに狂気に振れてゆき、自由を最大の価値とするモラトリアムの楽園だった筈がいつのまにか牢獄と化しているという、皮肉たっぷりの内容になっている。これは人類の文明史の根幹に関わる問題であり、真に暮らしやすい社会形態は何なのか、アナーキズムからファシズムまで様々な実証が行われてきた結果として現代があるのであって、これという唯一の解は定まっていないように見えるが、かといって若者の発想で既存の社会体制を否定してみせたところでそれ以上になるわけではないという集団的暗黙知を示唆している。多くの場合、限られたモラトリアム期間にそういう事実に気がついて体制に迎合するようになるのが一般的なのだが、中にはぼおっとしているとか、何かのこだわりを持っているとかで、あえて主流を選択せず傍流に生きる人もいるのだ。とはいえ、人間の寿命が有限である限り、いつまでも模索を続けていることも出来ず、終焉と再生を繰り返しているのが実状である。


■キャストについて



古矢航之介=清水清志…平田満とか、梶原善や、伊藤淳史のように、どちらかというと地味な顔つきの彼だが、正気と狂気の間を彷徨っている時の目つきの異常さといったらなく、客席でも思わず身震いしてしまうような迫力だった。今回の役としては適任だったと思う。

岡田彩花(松竹芸能)=桜宮雛子 …最初は初めて会う住人達に気を使って猫を被っているが、途中で豹変して暴行し、最後は犯罪者になってしまうという落差のある役をやり遂げた。

齋藤大貴(株式会社キャロット/ねぇカルチャー)=小沢大地 …独特の風貌は存在感があって一度見たら忘れない。典型的なダメ男をやるのだが、全ての男の言い分を代表してくれているような説得力があり、本当は信頼できる人なんでは?と思わせてしまうところがある。

土井龍太(オフィスぴろっと)=宮本博己 …自信がなく、気弱で馬力のない若者役。大分出身なのに高校が大阪だったから大阪弁という設定だが、その設定は必要だったのだろうか。

倫平(ねぇカルチャー)=上田拓也 …シェアハウスとか、サークルとか、この手の先輩って必ず一人はいるよなという人物。一人で服が脱げないとか部分的に妙に子供っぽいアダルトチルドレン感満載。他の住人もそうだが、徹底的に責任を負うことが大嫌い。

堀ノ内翼=落合洋介 …シェアハウスのリーダー格で、活発で比較的モテる男。チャオとソーシャルダンスのペアを組んでいて爛れた関係。クラミジア感染中とも。

國崎史人=久保健一 …根暗で大人しい役。

河合亜由子(サムライプロモーション)=チャオ…シェアハウスの紅一点でメンヘラ。シェアハウスによるが、こういう女が結構いるよな、という印象。パパ活を複数並行しているから金回りは良いとの設定。

中野陽介=矢部智春 …宮本を連れ帰しに来た上司。ストレスのせいか、おかしくなっている。

楠ほのか=尾田理央 …近所に住むシェアハウスのヲタク。アイドルっぽい(≓高校生っぽい)かわいらしさ。矢沢永吉ファンの兄がいる。

今村寿子=大家さん …シェアハウスのオーナーってこの手の人物が多いよな、と偏見を持っている目にはドンピシャなタイプ。この役を演じきれる役者さんは、実力者だと思う。

初恋タロー=高森課長 …宮本と矢部の上司で課長という役で一度だけ登場。受付では寝間着みたいなカッコだったのに、ちゃんとした服を着て髪型ちゃんとしてメガネをかけたらそれなりの上司に見えて、最初は誰だかわからなかった。

今井瞳=藤岡朱美 …彼氏(小沢)を尻に敷いてやかましいタイプ。しかし、言っていることは一番まともだったかもしれない。カワイイのだが、取り繕わずに素で暮らしているタイプ。