「私たちは『買われた』展」@神戸、企画展参加は2回目です。2年前~ワタシは何ができたのだろう?! | 勝手に応援するブログ

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   人権侵害、性暴力、人身取引、等などがない社会になることをのぞんでいます。
 
   でも、ブログ筆者の立場は矛盾に満ちています。

2016年夏に(東京・神楽坂での開催)、はじめて企画展に参加しました。 そのときの ブログアメーバ記事左矢印

それから、2年間がすぎていました。

「私たちは『買われた』展」@神戸20180920参加チケット写真
 ※「私たちは『買われた』展」@神戸、2018年9月20日の参加チケット写真。


いちど参加したことがありますから、
どんなものが展示されている企画展なのか、ということは、「知って・わかって」(?!)参加したのです。

そんな"参加のしかた"をなさる方は、他にはあまり多くないのかしら?!
そうでもないのでしょうか?!

知って・わかって、――いる「つもり」で参加したのですけれど、
それでも、あらためて、考えさせられてしまいます。

そら、そうです、...。
ワタシは日ごろ、中高生たちに直に接するようなことすらありません。

2年前に参加したときにも、あらかじめColaboさんの資料や、仁藤さんのブログや、・・を
「読んだり、見たり」した上で、参加したのでした。
ですから、・・展示されている"もの"は、みるのも「まったく初めて」、などということではありませんでした。
みたこと「ない」のもありましたけど、みたこと「ある」のも少なくない、・・ はずでした。・・のに、...。

忘れていたわけでは、ありません。
むしろ、日ごろから「よく考える」ようになっていた「つもり」でした。


仁藤夢乃さんがおっしゃってる、"衣食住"と"関係性"、・・ということの大切さを、
強く強く感じた、今回、2回目の参加でした。

人が"人として"生きていくための、"キホン"ですよね。 基本!

2年前と比べても、ワタシは(・・マスコミとかは、「アベノミクス」とか言うけれど)、
日本の社会って、いっそう「貧しく」なったように、(自分自身も、世の中全体的にも)感じております。

2年前と同じ?!企画展の展示内容をみてるはずやのに、
「貧しさ」ということについて、より強く深く感じた(ような気がした)のは、なぜなんだろう?と自問します。

(自分自身も含めた)日本社会のオトナたちが、
今日も、死なずに(は)なんとか生きて(ゆけて)る、・・んやから、まぁエエか、・・って、
ええかげん?!に「すごして」しまうことの"「罪」の「重さ」"を――"突きつけ"られます。

いや、オトナたちだって、(それなりには)精いっぱい生きてる(「つもり」の)はずなんですけど、...ね。


2年前と比べたら、"この問題"についての"理解"の広まりが、少しはあるのかも?!しれません。
Colaboのみなさんや、支援者協力者のみなさま方の、地道な積み重ね努力のおかげだと思います。

あいかわらずの、バッシングや、意図的な攻撃、等々は、なくなったりはしてませんけれど。


理解が広がっていったとしても、
日本社会の、大人たちと子どもたちの、実生活・実態が、「貧しさ」を深めてるんであれば、・・

"この問題"をめぐる事態も、深刻さを増さざるを得ない、ということを
(なぜか?同じ展示物を観てるのに・・)感じてしまいました。

この2年のあいだ、自分はなにをしてたんやろう?なにができた(できてない?!)んやろう?


具体的な社会の体制、・・行政や公的支援のしくみとか、とりくみ状況、国家予算とか、人手とか、・・は、
残念ながら、良くなってない!!! ですよね。

これ、ホンマ、大人の責任。
この社会のしくみをつくって(しまって)いるのは、私たち一人ひとりの大人です。

子どもたち、少女たちを、「責め」なければならない理由が、どこにあるのでしょう!!

社会に、政治に、はたらきかけて変えてゆく――ことから、目を背けていては、あきません!と思います。


そのために、ワタシには、あなたには、なにができるんか!?
変えていかなければならないのは、なんなのか?どこなのか?--日々の生活と行動が問われます。

大人たちも、いろいろと、つらいです。 ワタシも、決して裕福ではない(てか、貧しい)し、つらいです。

でも、私たち大人たちが、この社会で生きてる"私たち"大人自身が、変えてゆくしか、ありません!
でないと、決して、なにも変わりません。他所の人(・・て誰?)が、変えてくれるわけもありません。

ぼぉ~っと(←コトバが良くないですねm(_ _)m)、「生きてる」間にも、(←チコちゃんに叱られる?ww
少女たちは『買われ』てるし、中高生たちを『買って』る大人たちがおるし、・・

もしかしたら、・・
あなたも、ワタシも、(まわりまわって、・・あるいは、「直接的」にも?・・)「買って」るんとちゃいますか?

『買われ』てる少女たちがいる!ということは、私たち大人が、そんな社会をつくっている、ということだし、
そんな社会を変えようとはしない、ということは、
そんな現実を"容認"してしまっている、ことになってしまっているのでは??

特に男性は、ホンマによう考えなアカンのとちゃうんかな??(・・ワタシも男性!ww


日本社会の「貧しさ」ということについて、いま、考えていることを
このダラダラした「感想文」の最後に書いておきたいと思います。

このごろ、いつも、考えることでもあります。
日本国憲法 第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2.国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

私たち日本の大人たちは、国に(行政に)、この憲法を守らせること、ができてる?でしょうか?!
・・いいえ、できてないです。


企画展で「展示されてる」少女たちは、・・ けっして、とうてい、"「健康で文化的な」生活"とは言えない、
それぞれの、さまざまな状況の中から、・・・『買われた』んだと、今回、そこを強く強く感じたんです。

1回目に観たときにも、感じた(はずな)のに、忘れていたわけではないのに、
あらためて、そのように、強く強く感じ(てしまい)ました。

日本社会の、"衣食住"と"関係性"の、いやになるほどの「貧しさ」。(てか、欠如?!)
人が生まれて、人として育つために、なくてはならない、"衣食住"と"関係性"--の大切さ。


その日本社会を変えていくために、ワタシたち大人自身が、
私たちがつくっている私たちの社会そのものに、働きかけていかなアカン、という、
私たち自身の自覚と行動。不断の努力。

と、同時に、
いま目の前にある「貧しさ」の中から生み出されてしまう現実に対する対策・対応。支援や施策。

その両方ともが、この憲法を守り、(国や行政に)守らせる、ということになるんやないでしょうか。


ホンマ、ダラダラ書いて、えらいすんません。m(_ _)mあせる

読者のみなさま、読んでくださったみなさまには、
(もしまだでしたら)ぜひ!企画展にご参加いただき、いっしょに考えていただきたいと思っております。

お近くで企画展の開催の予定がない、という方は、
企画展応援サイトに掲載されている、"『買われた』女の子たち"からのメッセージを、
どうか、ぜひ、ご覧になっていただきたいです。
【Message.1】
私がこの企画に参加した理由(20歳・高校生)

【Message.2】
誰かといて誰かとご飯食べるだけでよかった①(20歳・フリーター)
誰かといて誰かとご飯食べるだけでよかった②(20歳・フリーター)

【Message.3】
JKビジネスがきっかけで(18歳・フリーター)

【Message.4】
"男性"は私を道具としてしか見なかった(18歳・高校生)

【Message.5】
小学6年生から2年間①(18歳・高校生)
小学6年生から2年間②(18歳・高校生)

【Message.6】
友達でいたかった(26歳)

【Message.7】
私を買ったのは弁護士、警察、自衛隊、医学生…タブー視されてきた経験①(23歳・看護師)
私を買ったのは弁護士、警察、自衛隊、医学生…タブー視されてきた経験②(23歳・看護師)

【Message.8】
16歳の私へ(18歳・高校生)

【Message.9】
誰かに必要とされたかった(18歳)

【Message.10】
お姉ちゃんに誘われて(16歳・高校生)

【Message.11】
ひねくれ者の私(16歳・高校生)

【Message.12】
何も分からなかった(15歳・中学生)


Colabo さんの「活動報告書」は、ホームページの右矢印ココ から、PDFPDFをみることができます。