先週に行って参りました、東京都墨田区東向島にある「東武博物館」において、私が撮影した画像(写真)をアップするレポート記事を今日はお送りしたいと思います。
東武鉄道の誕生及び発展に貢献したと言っても過言では無い、東武初の鉄道車両がこの「B1形」でございます。
B1形は、東武伊勢崎線北千住~久喜間の新規開業用として、1899年(明治32年)に合計12両が英国(イギリス)の「ベヤーピーコック社」から輸入され登場しています(日本国有鉄道「5500形」と同形)。
更に詳しく述べると初期輸入両数は10両で、1899年及び1901年(明治34年)に合計6両が総武鉄道に譲渡されており、残り4両のみが東武鉄道で継続して使用されていました。
しかし、1907年(明治40年)8月に亀戸線の亀戸~足利間の開通に伴って、残った4両だけでは両数不足を来している為、東武鉄道では同年に同じくピーコック社からB1形を追加輸入しております。
その後、日本国有鉄道(国鉄)から5両の同形機を譲受して運用されており、結果以前から導入されていた東武鉄道の6両を合わせた計11両のB1形が東武鉄道で使用され、これらは1機が事故により廃車となる以外は1959年(昭和34年)~1963年(昭和38年)に至るまで社線内の貨物列車牽引に充当されました。
またB1形の主な特徴として、ランニングボードや均整の取れた綺麗な車体と、真鍮製の蒸気ドーム・第一動輪のスプラッシャー(跳ね避け)に取り付けられた弓形の銘板でありましょう。
東武鉄道が過去に運用していた「日光軌道線(日光駅前~馬返間等)」において、当時充当していた車両がこの「200形」でございます。
ちなみに「日光軌道線」は路面電車であり、その路線に充当された200形は路面電車らしい低床スタイルと路面電車では多く採用されている2車体3台車の連接車構造が特徴です。
200形の登場経緯としては、1953年(昭和28年)の「100形」導入により近代化が進められていた日光軌道線でありましたが、多客時の輸送用に残存させていた旧型車を完全に淘汰し、併せて輸送力増強を図る目的で収容力が大きくなった本形式を製造し投入される事になりました。
200形登場後は、100形と共に通勤・通学・観光・貨物輸送の足として運用され、更に本形式は団体輸送等の貸切列車運行時には収容力の大きさを生かして優先的に充当されております。
また運用時は、運転手は旧型車や100形と同様に立って運転していましたが、100形等とワイパーの取り付け位置が異なっており、立って運転すると降雨・降雪時に著しく視界不良が起こる為に、直ぐに運転台に椅子を設置して座りながら運転が出来る様に変更されています。
そんな200形は導入されてから日光軌道線の主力車両として活躍していた訳ですが、1968年(昭和43年)の日光軌道線廃止に伴って全車が廃車され、車齢が14年と比較的経年は低かったものの、100形の様に他社へ譲渡される事はな無く大半の車両が解体処分されました。
しかし、上の画像にある203形のみが民間に引き取られており、1981年(昭和56年)3月にオープンした「東武動物公園」にて一時期展示保存される様になり、そして1989年(平成元年)に「東武博物館」がオープンしてからは当館に移設され、現在も当館所有で静態保存されております。
現在の東武鉄道の特急列車と言えば、「100系(スペーシア)」や「200系(りょうもう)」が有名ですが、その以前において東武の特急列車の顔として君臨していた車両がこの「1720系」でございます。
1720系は、設計時点で登場を想定していた国鉄「151系」への速度面での対抗と、国際的な観光地である「日光」方面への外国人利用者に対応する目的で製造し投入された車両です。
1720系の特徴としては、全てが電動車で居住性・乗り心地にも優れた軽量構造の高速運転対応車両で、更に編成の両端は特異なボンネット・側窓構成はペアガラスのユニット方式・全車分散式のクーラー搭載・ビュッフェ&日本初のサロン室の設置など快適性に重点が置かれ設計されています。
この快適性重視の設計から、「デラックスロマンスカー(DRC)」と言う通称や「デラ」の愛称で親しまれ、日光・鬼怒川温泉へ行く観光特急型車両(特急列車)として約30年間に渡って活躍しました。
でも、1990年(平成2年)6月1日に後継車である100系の「スペーシア」が営業運転を開始した後は、活躍の場が激減して、その後1991年(平成3年)8月31日にさよなら運転を行い定期営業列車を終了しました(その後、臨時列車への充当で同年9月8日まで営業運転された)。
現在は既に引退した1720系ですが、実は座席(シート)の一部と台車・モーター等の足回りは200系の「りょうもう」に流用されており、書類上は廃車では無くて車体新製による更新扱いであります。
さっき紹介した1720系と同じく、こちらも過去に東武鉄道の特急型車両として有名(東武の顔の1つ)であった「5700系」でございます。
5700系は、戦後の絶望的な物資不足を脱して安定の方向(復興)へ向かいつつあった頃に、戦時中に酷使されて老朽化が進行しつつも仕方なく使用されていた固定クロスシート車の「モハ5310形(元:デハ11・12形)」・「クハ350形(元:クハ11・12形)」に代わる特急型車両として新造された車両です。
上記に示した通り、旧型車の老朽化による置き換えがメインでありましたが、2扉転換クロスシート車として新造された小田急電鉄「2000形」と比較すると、特急用車両として設備面での見劣りは否めず、更に同時期に国鉄が上野~日光間で快速「にっこう」の運行を開始する等、日光方面へ行く優等列車の運行が国鉄と東武の間で競争が激しくなっていました。
そこで、さっき書いた事と同じ様な内容になってしまいますが、東武鉄道は接客設備の改善による乗客の増加を目論んで本格的な特急用車両の導入を決定し、1951年(昭和26年)と1953年(昭和28年)の2回に分け12両が「5700系」として新造されております。
5700系の特徴としては、機能及びデザイン相違から非貫通構造で運転台を備えるモハ5700形+クハ700形の「A編成」・貫通構造でモハ5710形+クハ710形の「B編成」・B編成と同等の車体に設計当時最新の駆動装置であった「直角カルダン駆動装置」を搭載したモハ5720形+クハ720形のC編成と、合計3編成のラインナップがある事です。
そして上の画像の5700系は、3編成中の非貫通構造である「A編成」であり、この編成は正面二枚窓の通称「湘南型」と呼ばれるスタイルを持ち、独特な流線型と前面の飾り金の形から「ネコひげ」の愛称で親しまれております。
そんなネコひげは、勿論その特徴的なスタイルで活躍して行く訳ですが、1960年(昭和35年)にB編成と同じく貫通型構造に改造され、急行・快速・臨時列車に充当された後に1991年(平成3年)に廃車されました(現在当館で展示されているネコひげは、貫通型構造の5700系をネコひげに復元した車両である)。
紹介したばかりの「5700系」と同じく、過去に東武鉄道の特急型車両として有名(東武の顔の1つ)であった同形式の「5700系」でございます。
さっき取り上げた5700系は「A編成」でしたが、ここで紹介している「5700系」は半流線型の貫通型構造を持つ「B編成」で、この車両は1953年(昭和28年)に製造されております。
ちなみに上記で書き忘れていましたが、この「5700系」が戦後初めて新造された東武鉄道の車両で、また上の画像の車両(5703形)は製造メーカーのナニワ工機(現在:アルナ車両)が東武に最初に納入した車両でもあります。
その他、「4車両目」の項目も含め5700系に関し記載していなかった事として、「運用形態」は主に浅草~東武日光間の特急「けごん」・浅草~鬼怒川温泉間の特急「きぬ」として運用され、1956年(昭和31年)に1700系が登場すると全編成が急行へ格下げし急行用車両となりました。
更にその後、急行列車に加え日光線で快速列車や団体&イベント等の臨時列車にも充当される様になり、そして1991年(平成3)年からは「1800系」を改造した「300系・「350系」の登場によって全車が営業運転から離脱しました。
引退した車両は、廃車解体される物も勿論あれば、上の画像に提示してある通り「東武博物館」で静態保存されている物もあり、正しく東武にとっては永久に保存しなければならない程の名車となっております。
以上で一通り、今日このブログ記事内容(お題)において記載しようと私が計画していた全ての事柄を無事に書き終えました。
あと1回程、「東武博物館」のレポート記事(撮影した画像をアップする記事)を記載する予定なので、是非今後楽しみにしていてくれたら幸いです('-^*)/




