1日置きまして今日は、先週関西へ観光した時に訪れた京都府京都市にある「梅小路蒸気機関車館」で撮影した画像(写真)を私なりの解説を踏まえてアップしたいと思います
今回も前回に引き続き、当館のメイン展示物(車両)である「蒸気機関車」の画像であります。
先代機である「C54形」の失敗を受け、新規開発して誕生させたテンダー式蒸気機関車が、「シゴゴ」と言う愛称のある「C55形」です。
1930年代当時、亜幹線の旅客輸送力強化を図る為に、丙線規格の路線に入線可能なC51形の後継機関車の製造が計画されました。
しかし、最初に開発されたC54形は、ボイラー圧力の高圧化と過度の軽量化が影響し、空転を頻発するなど乗務員からの不評が頻発に起こり、たったの17両で生産が終了してしまいました。
そこで、C54形の失敗と丙線規格の各線で不足する旅客列車用機関車を補うべく開発&誕生したのがC55形であり、本形式は棒台枠を採用するなど、当時の最新技術を多く取り入れられました。
C55形の特徴としては、一番はエクステリア(外観)であり、当時電気溶接技術の進歩を受けて溶接工法の採用部位を大幅に拡大し、リベットを減少させると共に多くの部分に直線基調のディテールを採用した事で、より洗練たれたボディー(スタイル)となりました。
更に、画像の車両では無いですが、改良型の2次車では美観と共に高速化に伴う空気抵抗を減らす事をを目的に流線形構造のボディーが採用されています(本形式が登場した時代は,世界中で鉄道車両や自動車の車体に流線形ボディーを用いるブームが起きていた事も要因となっている)。
また、機能面では先代型のC54形で問題となった「空転」を改良する為に、ボイラー圧力やシリンダ寸法などはC54形の物を踏襲しながらも、各動軸の軸重を増して結果的に空転対策としています。
運用は、本州・九州・北海道の沖縄県以外の幹線・亜幹線を担当している各機関区へ配置され、普通列車から特急列車まで幅広く活躍したと共に、特に流線形である2次車は宣伝効果も考慮して全国の広範囲に少数車両ずつ分散して配置されました。
ちなみに本形式は、当時日本の統治下にあった台湾の「台湾総督府鉄道」向けに9両導入されております(日本が太平洋戦争に敗れた後は、「台湾鉄路管理局」に引き継がれて形式名変更し「CT250形」となっている)。
現在は、現役車両は無くて(CT250形も含む)、廃車解体or今回の様に博物館や公園などに展示保存されています。
ローカル線用の客貨兼用過熱式テンダー式蒸気機関車で、8620形の速度と9600形の牽引力を兼ね備えた機関車として開発されたのが、「シゴハチ」の愛称がある「C58形」です。
国鉄のテンダー式蒸気機関車では唯一の2-6-2型車軸配置を採用し、煙室上部の煙突の前に装備された給水暖め装置などはD51形量産型に似た物としています。
更に、国鉄の蒸気機関車としては初の密閉型運転室が採用され、床部後方に延長して炭水車に接続する部分に扉を設置してあります。
走行上一番揺れの大きい炭水車との接続部が床になったので、機関助士の労働環境は大きく改善されましたが、一方で温暖な九州では暑さを凌ぐ為に扉を外して使用していました。
運用は、各地のローカル線や都市部の機関区等の入換用として充当され、特に関東南部(千葉県)・関西南部(和歌山県)・四国全域では最も主力の蒸気機関車でありました。
現在は、殆どが廃車解体又は博物館等で展示保存されていますが、秩父鉄道では「パレオエクスプレス」として現役で運用されています(唯一の動態保存機)。
C53形の欠点を元に、改良して新規に開発し誕生させたテンダー式蒸気機関車が、「シゴク」・「シゴキュウ」の愛称がある「C59形」です。
C59形の登場前である1930年代末は、東海道本線・山陽本線の二大幹線の旅客列車(特に特急・急行などの優等列車)は、主にC53形が牽引していました。
しかし、このC53形は3気筒の搭載により低重心化とスムーズな走行性能が得られた反面、複雑な形状の「グレズリー式弁装置」を備えていた為、整備検修においては非常に不利でありました。
この為に同形式は故障等のトラブルによる年間平均休車日数が他形式と比較して格段に多く、結果保守管理が容易で同等以上の性能を誇る機関車を求める声が次第と高くなり、その声に応えたる目的で登場したのが「C59形」であります。
C59形の特徴は、機関車本体の下回りは先代機と同様の鉄道省制式2気筒パシフィック機をベースに、ボイラーはD51形の物を基本としつつボイラー圧力を引き上げています(また、長煙管構造である)。
その為、台枠は棒台枠・動輪はC57形と類似である1,750mm径ボックス輪芯・弁装置はワルシャート式・前台車はエコノミー式復元装置を備えるLT219・従台車はばね式のLT156・156Aをそれぞれ採用し、更にボイラーは鉄道省制式機では一般的であった3缶胴構成のストレートボイラーを用いています。
運用は、登場当初から特急列車を主に牽引し、後継機のC62形が登場するまで特急列車を牽引する代表的な蒸気機関車でありました。
また、C62形の登場後もお召列車に本形式が多く充当されており、性能&信頼性は運用する現場において極めて高い物を築いていた様です。
現在は、現役車両は1両も無く、一部は廃車解体or博物館等で展示保存されております。
旅客列車用の機関車不足を補う目的で、貨物列車用のD51形のボイラーを流用して製造されたテンダー式蒸気機関車が「C61形」です。
戦後、旅客輸送需要が急激に増加していたものの、戦時中製造がストップしていた事による旅客列車用機関車が急激に不足していた為、国鉄は戦前に製造していたC57形・C58形・C59形の追加製造を行おうとしました。
しかし当時GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の許可無しに機関車の新造は出行えず、結果も実際に新造出来た車両も両数が少なくて機関車不足解消には至りませんでした。
その一方で戦後、貨物輸送需要は逆に大幅に減少していた事から、それにより余剰となった貨物列車用機関車のD51形・D52形を旅客用に転用改造する事となりました。
そして誕生したのがC61形で、本形式はD51形の改造名義でありますが、流用したのはボイラーと一部の部品のみで、殆どは新規に製造されました。
しかし改造されたD51形も、太平洋戦争末期に製造された品質が良ろしく無い車両ばかりであり、結果ボイラー流用は名目のみで新しいボイラーを搭載した機関車も存在しますし、更に完全な新造に近い車両もありました。
走行部品は、C57形の物をベースに車重を増やし、C57形の置き換えとして製造された経緯から、同形式の入線線区に適応する水準に軸重を軽減する為、従輪を設計変更して2軸台車とした2C2型の「ハドソン」と呼ばれている車軸配置となっています(日本初のハドソン採用機)。
更に、当時は日本国内で供給されていた石炭は、質が非常に悪い物であった為に、パワーを無駄無く全て出し切るにはボイラーへの大量の石炭投入が必要であり、そこで機関助士の労力を軽減するのに日本の蒸気機関車としては初めて「自動給炭装置(メカニカルストーカー)」を採用しております。
運用は、東北本線・常磐線・奥羽本線(秋田駅~青森駅間)・鹿児島本線等の地方幹線に多く配属され、普通列車から特急列車まで幅広く活躍し、性能や大きさからC57形やC60形と共通に充当されました。
また、「はやぶさ」や「日本海」などと言った寝台列車にも充当され、とにかく貨物列車以外の多くの列車で使用されていました。
現在は、廃車解体と博物館等での展示保存を基本とし、当館では蒸気機関車体験乗車列車「SLスチーム号」を牽引する列車として動態保存され、あとJR東日本では動態復元をしてイベント列車(ジョイフル・トレイン)に充当させています。
以上より、今日書きたい(書こう)と思っていた全ての事柄を無事に書き終えました。
次回も梅小路蒸気機関車館で私が撮影した画像を元にブログ記事を書こうと思いますので、どうぞお楽しみにしていて下さい(*゜▽゜ノノ゛☆



