先日、
お悔やみ欄に
載っていました。
わたしが厄年に子宮がんで入院したときに
知り合った優華(仮名)さん。
5ヶ月間の入院生活の中で
年が近いのもあって
病室は違いましたが、
自然に仲良くなりました。
詳しい病状(ステージについて)は話していませんでしたが、
お互いに励まし合っていました。
優華さんは
不妊治療でがんがわかり、
子供が産めない嫁は
いらないよね。って
義両親にたいして申し訳ない。
と泣いていました。
日頃から、
子供を持って本当の人になる。なんて父に言われていたので、
わたしは娘でもその子供が持てない重圧は苦しくて、優華さんの思いが、痛い程わかりました。
わたしの少し後に退院した優華さんと
わたしの定期検診の度に
会っていました。
優華さんの家は病院から10分、
わたしの家からは40分でした。
家に遊びに行かせてもらったり、
お店でランチしたり。
当時、「すたみな太郎」では平日はフリータイムだったので、何回も利用しました。
お互い、がん寛解と言われる
5年を無事に過ごして、
喜び合いました。
その間に優華さんは赤ちゃんと養子縁組が成立して、ママになりました。
不思議なことに
ママと同じ「優」の字が名前についていた男の子でした。
養子縁組みまでの
ことを
聞かせてもらって、
決まったときは、
とても羨ましかったです。
そのうち、
わたしも仕事が忙しくなり、
優華さんと疎遠になっていきました。
それが、
わたしがガラケーからスマホに変えてから、
LINEで繋がったんです。
息子さんは大学生になったということでわたしもすごく嬉しかったんです。
年に数回、
季節の変わり目に近況報告してましたが、いつしかLINEもご無沙汰になり、、、
3月14日、バレンタインデーに亡くなったことを知りました。
優華さんの亡くなるまでの
闘病生活は知りません。
でも、
いまのわたしは
お疲れさまでした。とか
これで安らかになれるね。って
簡単には思えなかったんです。
わたしより、
ふたつ年上の優華さんに
悔しいね。って思いました。
孫ちゃんを見たか、抱いたのかは知りません。
でも、逝くには早すぎます。
あと20年、生きて欲しかったんですー😢
優勝してください~。
~追記~
高安関、
優勝は逃したものの
三賞、
技能賞、獲得!
おめでとうこざいます!🙌