自分だけしあわせはしあわせじゃないね。 | 『のびしろ』しかない~♪☆生きるは修業☆

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認知症の父、2023.12月にホーム入所。
夫とわんこのこと。
多発性筋炎のこと
オストメイトの
わたしの
日々の心を綴ります。

「俺を温めてくれるのは便座だけ 」

ラジオネームに爆笑している アラ還です。

なかなか申告進まず

グズグズしてました。


今朝も寒かったー。







何のために生きているのか?

時折

考えることがあって、

「それはしあわせになるためよ。」と、

答えを下さって、

大感謝をしました。



ところが、

考えてみると、

自分だけがしあわせ。

というのは本当にしあわせじゃない。

自分に関わる人がしあわせじゃなければ。


だから、

わたしは今まで躊躇しながら、

悩みながら、

自分を押さえて

やってきたんだなー。


大切な人がしあわせならば、

ちょっと無理がかかっても

自分もしあわせ。

そう思えた。



母の世話をしていた時がそうだったんだなーと思う。

洋服を買いにいったり、

美容院に行ったり、

旅行を楽しむことは

ほとんどなくて、

髪はいつもお団子。

いつもさえない格好だけど、

母が笑ってくれたら、

それがわたしのしあわせ、

生き甲斐だった。



母を喪って(うしなって)

長年のペースが崩れてしまった。

バリバリギンギンだった

父が認知症になり、

何をしても

笑わない、感謝のかの字もない父に向き合うことが

何より

辛くて。

見返りを欲しがる自分なのかと

それも嫌になった。



誰かの不幸の上になりたつ

しあわせなんて

考えられない。


グループホームに空きが出た。「この機会は天の恵み」

と思って、飛び付いて、

父を入れた。



父が家にいない。

過去を思い巡らせてみる。

着替えを拒む父。

父に優しく出来ない自分。

争う悲しい時間。



やはり、

これでか良かったんだ。

離れて暮らすことは

自分のしあわせのため。

父の穏やかなしあわせのため。




時間があると

考えなくても良いことに

時間を使ってしまう。

忙しくて

振り返ったり、

考えることができないことは

良いのかもしれない。



生きることは

自分がしあわせになるために

修行し続けること。



アラ還の皆さまは

子育て終了し、

親の面倒と

子供の結婚、孫の心配と

まだまだ果てしなく

修行は続く。



今日も頑張ろう‼️


皆さまが

しあわせでありますように。