は同じ町会のおばあちゃん、
81才が亡くなりました。
聞くと
家の中にいて
熱中症で亡くなったそうです。
本当に今年の暑さは
異常です。
まさか、
北国で熱中症で亡くなるなんて
10年前は考えもしなかったこと。
ジーコ(父)は昨晩は
落ち着いて寝ていました。
今朝は
先に着替えようって、
3回言ったら
着替えてくれました。
部屋では
下着のシャツに半ズボンです。
半ズボンで施設に行ったら寒いでしょ。
今日は9:30にお迎えにきたので
遅すぎて困ります。
仕事に出たら、
もう、
一仕事終えての休憩時間ですよ。
忙しくなったら、
見送りは出来ません。
そうなったら、
ジーコを寝室から連れ出すように
ケアマネージャーさんに
お願いしなければ。
今日も
ジーコは水を出して置いたのに、味噌汁で
薬を飲もうとしていました。
結局は
腹に入れば同じこと。
好きにさせればいい。って
夫は言います。
その通りなのだけど、
構わないでいられない。
ジーコに
「うるさい!」って
言われてしまう。
「子の心、親不知」
きっとジーコには死ぬまで
わたしの
心が通じることはない。
昔から
「自分と金」しかない。
↑
どなたかのブログに書いてあって、
ジーコと
ドンピシャリだって
思いました。
農閑期に
いろいろな会社で
短期間働いてきたわたしは
ジーコを越える嫌な人には
会ったことがありません。
家でどんな仕事をしても
ろくに説明もせずに、
やっておけ!と
姿を消したりがほとんどでした。
自分は別の作業をするためになのですが、
あまりに言葉が足りなくて。
もともと田んぼは一町歩作っていました。
わたしが
子宮がんで5ヶ月入院した翌年に
田んぼを更に一町歩増やした時は
本当に驚きました。
「俺が一人でやるからいい!!」と家族の反対を
押し切って。
結局は姉夫婦、叔母夫婦2組、大勢の手伝いに助けられて
種まきから稲刈りまでして。
ジーコは
満面の笑みでしたが、
膝までぬかる田んぼに入る
体力はまだつかず、
わたしは苗箱洗いの役目。
この苗箱洗いは腰に来るし、
めちゃくちゃ泥がついていて、重労働でした。
大勢のお昼の支度、おやつの買い出し、本当に大変でした。
ただ、みんなで集まる楽しい機会ではありましたが。
わたしはその後、
多発性筋炎、大腿骨骨董壊死症、大腸がん2回の
病気を経験しました。
今となっては
田んぼは全て貸しています。
わたしたちなりに
一生懸命に
仕事をしてきたつもりです。
だけどジーコは
事あるごとに親戚や姉夫婦に
あれたちは
全然仕事が出来ない。
散々言われました。
父のペースで仕事したために
父の口煩さが
ストレスになり
わたしは
病気ばかりしているとしか
思えません。
今の夫と結婚する前は
健康だけが
取り柄のわたしだったのに。
夫の実家や姉の🍎畑に手伝いに行って
うちの働き方と違うことに
驚きました。
うちほど
うぬうぬ(津軽弁)と大急ぎで
仕事するところはないのです。
そんな訳で
ジーコに対する
わたしの気持ち、
わかりますでしょうか?
わたしが何度入院したって
言葉をかけてくれたことは一度もなし。
わたしは
ずっと
安産型だから
3人くらいは子供が欲しいな。って普通に考えていました。
まさか、
子供がなしの人生って
想像していませんでした。
これから、
死ぬまでには
『いい人生だった。』と
言えるように
頑張って調整して
心も
穏やかな方向に
持っていきたいと
思っています。
ジーコが言葉も話せず、
動けなくなったら、
それが
訪れるでしょうか。
ごめんなさい。
今日の記事は
また
「わたし、かわいそうでしょ。」になってしまいました。
スルーしてね。
コロナワクチンを打つために
病院へジーコを連れて行き、
待ち時間がかなりあったので、
べつの用事を足し、
迎えに戻った時、
待合所で大きな声が響いていて、
「俺が必死に増やした田んぼを若い奴らがみんな貸してしまった!なんも仕事が出来ない奴らなんだ!」
ジーコが知らないおばあちゃんに話していました。
そのまま、
病院に置いてけぼりにしようかと
思いました。
殿様、ジーコを
なんとか
殺さないように(笑うとこよ。)
付き合っていきます。
見守って下さいね。🙇♀️
わんこ🐶見てね🎵