諦めない男、6才。人に換算すると40才。 | 『のびしろ』しかない~♪☆生きるは修業☆

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認知症の父、2023.12月にホーム入所。
夫とわんこのこと。
多発性筋炎のこと
オストメイトの
わたしの
日々の心を綴ります。

照れ照れ照れ
これの中におやつを仕込んで
あげたら
なかなか最後の一粒が出てこない。
1時間、粘っていました。
諦めないわんこ。
おそるべし執念深さです。
可哀想なので
取って上げました。

わんこに癒されている
単細胞&小市民の50代♀です。
照れ照れ照れ

今日、デイサービスから帰った父。
まるでび☆ぼー神のような頭が
ひよこちゃんみたいに
可愛らしくなっていました。
デイサービスでは月に一度の床屋さんの日でした。
1,800円也を持参して、カットして頂きました。
2ヶ月に一度で足りるハ☆頭です。

初めて、
デイサービスはどんなことをするの?って聞く事が出来ました。
そうしたら、
50~60人が集まるのに誰とも
話さなかったと言うのです。
温泉のお風呂に入って、
ご飯を食べて
一時間半お昼寝して
みんなで10分くらい体操して、
お茶とおやつを食べて
4時には送迎して貰って帰ります。
朝は9時に大型バスで迎えに来ます。
何も行事がないなんて、
驚きました。
今のデイサービスって
そんな感じなんでしょうかねー。



実は多発性筋炎を患った後、
ヘルパー2級の資格を取って
すぐに
施設の職員になりました。
利用者さんの家を早く覚えるようにと大型ワゴン車(八人乗り)を
真冬の一番雪の多い時期に運転して
一人で送迎をしました。
今、思うと助手がつかないなんて考えられない。
本社へ訴えてもよい事に思います。
『わたしにはこの仕事しかないのだ。』と、とにかく必死でした。

多くても10人程度の利用者さんのこじんまりした施設でした。

風呂介助は一人でこなさなきゃいけなかったので、かなりキツかったですが利用者さんに笑顔を向けられるとやり甲斐のある仕事でした。
働き始めて4ヶ月過ぎた頃だったか、右足に痛みがきました。
足を引きづるまでになったので、
ちゃんとレントゲンを撮って検査した結果、
『大腿骨骨頭壊死』と診断され、
杖を使って歩いて下さいと言われました。
わたしの絶望ったら、、、なかったです。
介護する側からされる側になったら
大変です。。。

わたしは手芸の担当でもありました。わたしなど初心者が完成させた見本の人形なんて足元にも及ばず、
器用な利用者さんもいました。

風呂介助はしなくて良いと引き止められましたが、
利用者さんの介助は足には負担がかかる仕事だし
他の職員に迷惑をかけることが心苦しく、わずか半年で退職しました。

多発性筋炎という病気を隠して、
就職したこと、
『大腿骨骨頭壊死』と関係性は
わかりませんが、
申し訳なく思いました。

ところが、治らないとされていた病気と思っていましたが
今ではなんともないんですよー。
ありがたや~~~。



今日は29℃まで上がりました。
暑くて大変でしたが、
救いの神(拾う神)が手伝いに来てるくれて張り切ってお仕事しました。
さすがに暑さにやられて、
4時に友達が帰った後、
木の下で少し横になりました。

またまた昔話でした。