アンドレ・ジィドは、私の最も好きな作家の一人です。
「田園交響楽」が私の大切な作品です。 色々な意味で。

ここでは『テゼ』を紹介します。

         

ジィドの『日記』より。
一九三一年一月十八日

―「エピローグとしてエディプスとテゼの対話を考えている。二人の英雄の決定的な出会いを書きこめるようなテゼの生涯を書こうと思っている(そう思ったのはずいぶんまえのことだが)。その出会いは、二人がお互いに相手に照らして自分を測り、自分たちの生涯を、互いに相手の生涯の光で照らし合うような出会いになるはずだ。」

実は、ジィドが『テゼ』を書こうと思ったのは、さらにその二十年前、一九ー一年のことでした。 テゼの独白という形をとったこの作品は、三十年以上ものあいだ、ジィドの胸の中で温められていたのです。

日記で記されたように『テゼ』の末尾にはエディプスとテゼの対話が置かれ、それを踏まえた次のような述壊で結ばれています。

―「エディプスの運命と自分のそれを比べてみて、私は満足している。私は自分の運命を成就したのだ。自分のあとに私はアテーナイの町を残していく。私はこの町を、妻や息子以上に慈しんだ。私のあとにも、私の思念が不滅のものとしてそこに宿るだろう。私は孤独な死に近づきつつあるが、それは承知のうえのことなのだ。私は地上の富を味わった。私の死後、人々は私のおかげで自分たちがより幸福に、より善良に、より自由になれたと認めるだろう。そう思うと嬉しい。未来の人類の幸福のためにこそ、 私は自分の仕事を成し遂げた。私は生きた。」
(訳 / 朝吹 三吉)

このように語る時点で、実はテゼの運命は成就されていません。 彼は自分が建設したアテーナイを呪い、父の領地のあったスキューロスに向かいます。
今で言えば亡命します。
プルタークは彼の死を次のように語っています。

―「その頃スキューロスの王はリュコメーデースであつた。そこでこの王の処へ行つて、自分の落ちつく場所としてその土地を返して貰ひたいと頼んだ。或る人はアテーナイを敵とする場合の援助を求めたのだといふ。ところがリュコメーデースは、テーセウスの名声を恐れたのかそれともメネステウスに好意を示さうと思つたのか、土地を上から見せると云つてテーセウスをその島の高いところに連れて行き、岩から突き落して殺した。或る人はいつもの通り食後の散歩をしてゐるうちに辷つて自分で落ちたのだと云ふ。」
(訳 / 河野 与一)


いずれにせよ、テゼは非業の死をとげたのです。
しかしジィドが、自己の運命に満足したテゼを描いたからといって、それが間違いとは言えないし、また、世に語り伝えられたテゼの事蹟と違ったことを述べたとしても、さして重要ではないと思います。
というのは、これはあくまでもジィドがテゼに仮託して己れを語った作品だからです。
ジィドが己れを仮託するとすれば、数あるギリシア神話の英雄たちの中でも、テゼをおいて他には見出だせなかったであろうことは確かだと思います。

「私は生きた。」と結ばれるテゼの独白。
「テゼの船」で述べたように、 テゼの思念、理念、魂は、アテネの街に、彼の船に、生き続けるのです。
生き続けるのです
時代を越えて


『テゼ』は、 ジィドが最も長いあいだ胸の底に秘め続けた作品であり、ジィド の最後の〈レシ〉であり、精神的遺書とでも呼ぶべきものでありました。
完成時の年齢(七十五歳)を反映してか、その語り口には一種の静朗さが感じられます。

一九四四年五月に書きあげられ、一九四六年に刊行。
その五年後に、ジィドはこの世を去りました。



「テゼ」本文引用は、新潮社版ジィド全集より。

翻訳者名を私が記すのは、敬意の表れです。

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これで本当に最後です。
知り合った全ての方にお礼を言います。
ありがとうございました。