11月19日付で、悪い冗談のつもりで書いた記事が、続報が出たので、しかめっ面しながら、僕も続報。

たいして目新しくもなく、期待も膨らまない噂話だったが、まあ、考えてみたら、それでもいいか、という風に気が変わった。くず議員、不良議員とまで言う人もいる昨今の自民党である。ぼろぼろになっても、辞任の後が決められない。人がいないのだ。たいていは旧統一教会に侵された壷議員なので、思想も政策も倫理感も責任感もない、ほんとにくず、不良ばかりみたいだ。立憲民主も気合が抜けてしまって、あほ面下げてほっつき歩いている、妥協の好きな、自民擦り寄り議員ばかりだ。これでは2世信者たちも救われることはなかろう。なんだい、維新と共闘て~のはどういう了見だい今まで応援してきたわしらがバカ見て~じゃないか。?先の09年政権交代の後、自民党は、思想、政策、反省一切かなぐり捨てて、ひたすら、政権恋し、民主憎し、選挙に勝ちたいとそればっかりを考えるゲス政党になっちまった。同様に今の民主系は政権にすり寄って、うまい汁のおこぼれを狙うことばかり考えるようになった。曰く、提案型野党、曰く対案型野党、かくして、おぼれる寸前の岸田政権の秋波に載ったのであろうか。

え、いいでしょう。当ブログは、長年、民主党を応援してきましたが、この際、自民へ行きたい人はさっさと行きなさい。前の政権もできたらすぐ、後ろから石を投げ、足を引っ張るのがいた。たいてい、もう移っているようであるが、みんなきれいに行っちまえ。トロイの木馬はもういらない。きれいな、本当の反自民の旗を掲げられる人だけでやりなさい。もう一度、チャンスは来るだろう。国民有権者は決して忘れることはない。自民打倒の日は必ず来る。大掃除を怠りなく!!

 

 

一頃(ひところ)、頭がいいらしいということで売り出した人たちの馬脚が見えてきた。

例えば、橋下徹、どんな風にばれてきたかというと、あれはいわゆるディべートがうまいだけ、つまり、本質的な意味を問わない、表面上の議論の勝ち負けのみを追求する、テクニックなのだ。これまで彼が様々な場面で議論を振りまいてきたなかで、例えば大阪都構想の思想や意味が明確になってきただろうか。混迷の中で、うやむやになってしまったので、本人自身がもう止めたということになった。自民党と統一教会の癒着問題でも、何かが明らかになり、だからどうすべきだというところまで、論が深まる気配がない。

そして昨今見えてきたのが「ひろゆき」氏である。

沖縄、辺野古の座り込み闘争に対する揶揄、中傷はひどいと思うのだが、彼の議論の中心は座り続けていなければ、座り込みということに反する、というもので、そんな定義はないとする、住民に対し、「辞書に書いてある」と主張したのである。はっきり言って、そんな辞書はないし、あったら見せてもらいた。もし本当にあったらそれは辞書が間違えているのだ。映画 イチゴ白書にもあるように、座り込みはたいてい権力のてになるごぼう抜きによる弾圧で終わるのであって、〇〇時間すわっていたからどうというものではない。

ひろゆきは、たいてい、独特な早口で、一度にたくさん喋りまくり、普通の人間は彼と対話しようという気がなくなる。これを戦略というか戦術というか知らんが、普通の人間がふっと気持ちを揺らがせたり、俺は何しているんだろう等とよどみ、逡巡したそのすきに、「」ハイ・論破した」と宣言する、そういうものである。しゃべり言葉というものの危うさを武器にして、出来る人とかいう場所を占めてきたのである。若いころ僕は悩んだ末、吉本隆明に電話をしたことがある。吉本さんは優しく丁寧に応対してくださったが、話始めると「ああ、それは喋っているのでは難しい。文章書いて見せなさい」といってくれた。「はい書きます。」と言って僕はそれから30年ほど書き続けた。吉本さんは死んでしまったが、僕は生き延びることができた。ひろゆき氏が最近連れてきた?成田氏は、修飾が多すぎて、よくわからないまま、割と普通のことをしゃべっている。先に修飾語をたくさん飾り立てるのはどうかなと疑問である。

本気かどうか知らないが、岸田総理と立憲野田が接触しているらしい。バカも休み休み言え!!野田はもう無意味な存在であって、岸田が欲しいならくれてやってもいい。ダメ+ダメはやっぱりだめだ。これは立憲分裂のあるいは、自民分裂のいんぼーなのか?岸田もそんなことやっている暇はないはずだ。財務省主導の増税策動にほかなるまい。 岸田は統一教会問題を整理して新しいスタッフを揃えたくても、もはや人がいない。自民党はもう乗っ取られているのに近い。立憲も代表を間違えた。アレでは無理、小川にしとけばよかった。次の選挙は遠くない!早く準備をすべきだし、勝つ気でやらねばだめだ。アレは何とかしなけりゃ!とか言ってるうちに、8波が来てしまった。いつもとろいのう~~