第40回パイオニアラン・ジャパン | 真・アブさん日記改め不定記

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花のトイレはピコレット

栃木で伝統ある旧車イベント、パイオニアラン・ジャパン(以下PRJ)。

今回で何と40回目を迎えた。

 

PRJを初めて見学したのが、貧乏学生真っ只中の1991年の話。

その3年後、念願叶い私もエントリー。

 

 

 

記念すべき初めてのエントリー時のプレートは、今でも保管。

2000年迄毎年エントリーしてましたが、諸事情によりそれ以降は

飛び石での見学に留まり、現在に至ってます。

 

そして迎えた当日。

古くからの仲間のお誘いと、け~やんのリクエストで会場に足を運びます。

 

 

 

スーパーカーで(スーパーに行く車)で会場に向かいますが、その前に?

 

 

 

これまた久々の朝ラーで腹ごしらえ。

 

 

 

そして会場に到着。

今日はこっからだかんね~の撮影を(笑)。

 

 

 

今年のテーマは?創立から100周年のメグロの目黒製作所。

 

かつて栃木の烏山にも工場があり、その昔当時のチャンネーの間では、

結婚するなら公務員か目黒に務めている人が良いと言われていたそうな。

 

その話は私が未だ青二才の頃に、当時を知る多くの地元オールドチャンネーからの

リアルな証言なので、信憑性は高いであろう(笑)。

そんな目黒も時代の流れには逆らえず、川崎重工業に吸収され烏山工場も閉鎖。

噂では当時、かなりの未完成車や部品が外に流れ、某輪業店ではその部品を使い

目黒を組み立て販売してたと言う有名な伝説話がある位だ。

 

私がエントリーしていた頃は、目黒に務めていた当時に求めた車両でエントリー何て

諸先輩方も珍しくは無かったが、もう30年位前の話だから今はどうなんだろか。

 

 

 

会場入り口では、メグロの白バイがお出迎え。

 

 

 

おっとそれより前に、以前兄弟でお世話になっていた今は亡き伝説の

エンヂニヤPOP綱川が整備していた車両達も来てましたよ。

け~やんが生まれた頃、POPの元に連れて行ったっけ。

 

 

 

PRJと言えば二輪のみのイベントでしたが、少し前から農発や四輪等も

エントリー可能となりました。

低速動作の農発、何とも言えないんですよね

 

 

 

最近は、車両でなく降ろしたエンヂン単体での展示が有ることに驚きです。

勿論実働品です。

 

 

 

始動用のクランク棒。

私のスーパーカーにも標準装備です(笑)。

 

 

 

車種が分かりません(笑)。

 

 

 

私も弟もけ~やんも大好きなトーハツランペット。

東京発動機トーハツは、オートレース用車両やエンヂン製造で現存。

余談ですが、ダイバクハツもといダイハツ工業も昔は大阪発動機と云う

社名だったんですよね。オート三輪のエンブレムが大阪城だったりと。

 

 

 

発動機繋がりで、ヤマハの車両を。

 

 

 

改造されちゃってますが、あのヰセキ発動機のオートバイ。

 

 

 

ヰセキのタフですね。

ヰセキでも昔はオートバイを製造してました。

 

 

 

現スバルの富士重工のラビットと並び一世を風靡したスクーターである

三菱のシルバーピジョン。

 

 

 

け~やん大好き、ドクロタンクのベンスパCB92。

 

おっと、長くなったのでここで一区切りします。

 

つづく・・・