暑い日が続く。
この季節になると、29年前の絶望的な日々を想い出す。
茂代には、死という言葉は吐かなかった。
「夜逃げ」という言葉を使った。
茂代の遠いふるさとは宮崎だったので、
「宮崎に逃げよう」と、よく話してた。
当時は行ったことのない宮崎に、何か憧れを持っていたし、
暖かいところだから、お金はかからないだろうし、
食うための仕事は、何かあるだろうと思っていた。
おそらく、茂代も本気で考えていただろう。
でも内心では、ぼくは一人で死ぬことを考え初めていた。
子どもたちは、そんな親の情況など全く知らなかったはずだし、
知っているのは、ぼくと茂代だけだった。
そんなある日、
「茂代、俺はダメかもしれない」
と、ぼくは口に出した。
その時、それを口に出した自分に驚いた。
プライドが高くて、愚痴など吐いたことなどない自分の言葉に自分が驚いたのだ。
すぐ、その場で打ち消したものの、
「あぁ、俺はここまで落ちぶれてしまったのか」と、
一瞬、悔やんだ。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
しかし、
その2、3週間後に起きた大洗海岸での『ビーチサンダルの奇跡』で、
ぼくは立ち上がることが出来た。
その間に、何があったんだろう。
8月19日発売の小冊子『愛する妻』の「ゆるし」の章で書かれてあるように、
ぼくは死を受け入れて、始めて父をゆるすことが出来た。
たったそんなことで、と人は言うかも知れないが、
それが、ユングの言うところの爆発的なエネルギーとなって、
奇跡が起きたとぼくは思っている。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
29年を振り返って、
その激震はなお余震をもって、ぼくの魂に語りかけている。
本当に、貴重な人生ではあるけれど、過ぎ去れば一瞬の人生だ。
これまでのぼくの人生にとって、父をゆるしたことが一番の出来事だった。
忘れてはならないことだ。
あの暑い盛りの絶望的な情況から、蘇ったことは忘れてはならないことだ。
あの時、必死に祈った神への思いは、忘れてならないことだ。
己の魂を捧げて、神に祈ったことを忘れてはならない。
高いところから見れば、一つの小さな出来事であって、
一瞬に消え去る「幻想」に過ぎないかも知れぬが…。
神にひれ伏して、己の魂をも神に委ねて生きたいものだと、
今、ぼくは思っている。
グッ ナイ
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