最近つくづく思うことは、瞑想するにはパワーが必要であるということだ。
尊敬するある人の本に書いてあったが、
彼も瞑想を習慣としている人だが、たいていは朝するそうだ。
彼の説によれば、夜は一日の疲れでエネルギーも少ないが、
十分と睡眠をとった朝はエネルギーにあふれ、しっかりとした瞑想をすることができる、と。
それまでは、ぼくはそんなことを気にしていなかった。
ただ、彼の説を読んでから、意識的に朝の瞑想と夜の瞑想を比較してみると、
明らかに、ぼくの場合も朝の方が断然いいことに気づいた。
十分時間的に余裕のある朝などは、苦もなく4、50分の瞑想ができるが、
夜の瞑想はそうはいかない。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
5月の半ばから、毎朝の40分の瞑想は欠かしていない。
なぜって、ぼくは根幹から変わりたいと思っている。
27のとき潜在意識を知って、ぼくの生き方はまるで変わった。
43のとき父を許せたことで、ぼくの人生は大変化をした。
72になった今、はじめて「愛のパワー」を知ったようだ。
ただ、知ったからってどうにかなるものではない。
「愛」を心に或いは魂に取り入れて生きなければ何にもならない。
今まで生き方の延長では、とてもそうはならない。
で、45年間馴染んできた瞑想を、もっと積極的に磨いていこうと決意したのだ。
ぼくにとっては瞑想は万能であって、また瞑想なくしてはぼくの存在は無くなる。
瞑想などしなくても人は生きていけるし、大きな成功さえできる。
人は百人百様だ。
何れにしても、ぼくは、
43のとき「ゆるし」を会得して、大変化をしたように、
今度は瞑想を深めながら「愛」を学んで、さらに変わりたい。
そして、
「愛のパワー」で生きれたら、何と幸せだろう、と思っている。
今日の愛犬クオリア
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