レビーは極めてヘテロな集団。
前回の症例には効いたけど、
今度は効かないなんてフツウ。
マニュアル治療では
崩せませんや。
神戸新聞より。
「人生終わりや」
泣き崩れた認知症の妻
記憶消える恐怖
2月中旬の昼下がり。
兵庫県養父市の特別養護老人ホームを、元小学校教諭の山崎敬一さん(68)=同市=が訪れた。
ここで暮らす妻真佐子さん(68)に面会するためだ。個室で車いすに座る真佐子さん。「お母さん、来たよ」。
呼び掛けに返事はない。
「レビー小体型認知症」。
それが真佐子さんの病名だ。
アルツハイマー病とパーキンソン病両方の特徴がある認知症で、記憶障害のほか、妄想、不安、うつなどの症状が現れ、時間とともに体の衰弱も進む。
厚生労働省によると、
根本的な治療法はまだないという。
真佐子さんは、小学校の教諭をしていた50代半ばで発症した。今では体をほとんど動かせず、言葉や表情での意思疎通も難しくなっている。
面会に訪れた敬一さんはよく、真佐子さんのお気に入りのフォーク音楽などを聞かせる。メロディーに合わせ、真佐子さんの手の甲を軽くたたいてリズムを刻む。
手のひらを握ると、軽く握り返してくる。
介護を始めた当時は「自分は世界で一番不幸だ」と感じていたが、今は「こんな穏やかな時間を過ごせて幸せ」と思えるようになった。
◆
真佐子さんの変化に、敬一さんが最初に気付いたのは2003年ごろ。
少し怒りっぽくなったという。
やがて「昨日何したっけ」と聞くようになり、同じ野菜をくり返し買うようになった。
体調不良も頻繁となり、05年春に休職して自宅療養を始めた。
病院では「自律神経失調症」と診断されたが、敬一さんはすでに認知症を疑い始めていた。
真佐子さんは療養開始後も、しばらくは家事や料理をこなし、車も運転した。
絵がうまかったので、時には敬一さんが授業で使うイラストを描くこともあった。
「認知症は自分の早とちりだったのかも」。
敬一さんはそう信じようとした。
だが後に分かったことだが、休職を機に始めた日記に真佐子さんは、家族全員の名前と誕生日、自分の職歴などをしたためていた。
「記憶が消えていく恐怖と戦っていたのだろう」と敬一さん。
通院帰りの車中で真佐子さんは「もう人生終わりや」と泣き崩れたこともあった。
さらに
妄想や幻覚、震えも徐々に現れ始めた。
07年9月、敬一さんは介護休暇を取った。
2人が30代の頃、真佐子さんの父が認知症になった時、夫婦で「お互い認知症になったらよろしくね」と話し合ったことがあった。
妻の助けになりたかった。
だが、
現実はそんな想いとは裏腹に残酷だった。
「自分が休暇を取ってから、妻は急に悪化したように思う」
・・・