あらゆる制度は
時間と共に陳腐化する。
つくり直せば良い。
毎日新聞より。
若い人の生活
支える制度必要
高見国生
認知症の人と家族の会代表理事
認知症の高齢者は2012年時点で推計約462万人。25年には最大で約730万人になるという試算もある。
高齢者だけでなく、若い世代でも増えている。就労の手助けや、外出時の支援はどうあるべきか。
26~29日には京都市で、認知症に関する「国際アルツハイマー病協会(ADI)国際会議」が開かれる。
認知症を巡って社会が変化を迫られている背景には、診断技術の進歩によって発症を早期に発見できるようになった事情がある。
初期段階で診断された若い認知症の人が多く現れ、声を上げている今、「高齢で重度で、ものも言えない」という認知症についての従来の疾病観は様変わりしている。
若い認知症の人を支援する必要性が浮き彫りになっており、国や社会に発想の転換が求められている。
40年ほど前に私が養母を介護していた頃、当時で言う「痴呆症」の人は妄想があったり、失禁したり、他人の物を盗ったりする「恍惚(こうこつ)の人」だった。
もちろん当時も初期の段階はあったが、道に迷ったり、物忘れしたりといった軽度の状態を世の中は「年寄りとは、こんなものだろう」とみて意識していなかった。
私が養母を初めて病院に連れて行ったのも、スリッパで踏みにじられた大便を自宅の廊下に見付けたからだ。
想像を絶する出来事が起きてからだった。
しかし、早期に認知症と診断されればされるほど認知症でない人の状態に近い。
初期段階と診断された若い人は、懐メロを歌ったり、遊戯的なリハビリをしたりする重度高齢者向けの従来の介護サービスを利用する気にならない。
彼らのニーズにも合っていない。
サービスの質の変換が迫られている。
国などの施策は、認知症を患っても明るく楽しく元気に過ごすことを目指した集いの場の整備や、病気に関する啓蒙(けいもう)と啓発が先行してきた。
しかし、認知症の若い人にとっては、どう生活していくかが何よりも切実だ。楽しく過ごすことも大事だが、収入を確保し生きていかねばならない。
課題に対応する動きもある。
例えば東京都町田市のデイサービス施設は近隣の自動車販売店から洗車を請け負っている。施設に通う認知症の人は洗車作業に従事し、多額ではないが報酬も得ている。
ただ、課題に対する国の対応はいまひとつはっきりしない。町田市の施設は介護保険の対象施設だ。
通所者が介護保険のサービスを受けていながら報酬を得ることに厚生労働省は当初、難色を示していた。
交渉の末、厚労省が条件付きで認めた経緯がある。制度でなく、個人的な努力と工夫で対応しているのが現状だ。
認知症の人が関わって起きた事故などの損害への対応も遅れている。損害を公的に補償する制度の創設が議論されたが、民間保険が存在することを理由に見送られた。
交通事故を防ぐための認知症の人の運転免許証の返納は進んでいるが、車のない生活の不便さをどう克服するかの議論はあまりない。
認知症の人と家族の視点の重視をうたい、支援策を具体的に定めた国の「認知症施策推進総合戦略」(新オレンジプラン)を私たちは「暖かい風」と歓迎してきた。
一方、軽度の人などを保険対象から外す措置など介護保険制度の後退を「冷たい風」と呼んでいる。
暖かい風が強くなるのか、
冷たい風が強くなるのか。
障害のある人を社会がどう支えるのか。
問題は認知症に限らない。
社会のあり方を考える必要がある。