【認知症だより】 「恐れず、あなどらず…」 特別な問題ではなくなった | フレイルも認知症も減らない日本

フレイルも認知症も減らない日本

Nobody is in possession of the ultimate truth.

ウイルスと戦争の世紀で人生を終えることになるとは・・・まさに第三次世界大戦前夜の状況ですからね しかも本日は日本の金融市場はトリプル安

認知症を甘く見ている
連中は存在しますねニヤリ



産経ニュースより。



【認知症だより】

「恐れず、あなどらず…」

特別な問題では
なくなった


 
私が28歳の頃に養母の認知症が始まり、36歳から「家族の会」に関わってきましたが、今や73歳となりシニア真っただ中。親の問題から社会の問題として関わり、自分の関心事になりました。

「ぼけるが勝ち」と言われた時代がありました。ぼけたら本人は何も分からないから楽でいいが家族は大変、という意味でした。

ぼけたら何もわからない、人間オシマイと考えられ、「ぼけにだけはなりたくない」と思われていました。

差別と偏見があったから、家族は世間に隠し、介護は家族だけで行いました。

昭和47年に有吉佐和子さんが介護家族を描いた小説「恍惚(こうこつ)の人」が発表されましたが、特殊な人に起こる特別な問題と思われました。だから医療面でも福祉面でも、対策は取られませんでした。

それが今日、認知症に対応する医師は増え、介護を社会的に支える介護保険制度が誕生し、認知症サポーターが800万人を超えるなど認知症の人や家族を支える民間の取り組みが増えました。

養母の介護をした三十数年前と比べると隔世の感がします。何が世の中を動かしたのでしょうか。


何よりも正しい理解が広まったこと。

特別な問題から
普通の問題になったこと。

それは誰もが、自分も認知症の当事者や介護者になるかもしれないと思うようになったということです。

そして、認知症に最も近い位置にいるのがわれらシニア世代です。認知症になろうとなるまいと、われらが社会のありように大きく影響を与えます。

認知症を恐れず、しかしあなどらず、人生の終盤を有意義に生き抜きましょう。

     ◇ 

認知症の人と家族の会代表理事の高見国生さんが認知症について綴ります。認知症の人による絵画などの美術作品も掲載します。

【プロフィル】

高見国生(たかみ・くにお) 昭和18年生まれ。京都府職員だった28歳のころ養母の認知症が始まり、55年に京都市で「呆け老人をかかえる家族の会」(現・認知症の人と家族の会)を設立。代表理事を務める。同会は47都道府県に支部があり、1万1千人の会員がいる。

 ※「認知症の人と家族の会」への電話相談は、平日午前10時~午後3時、フリーダイヤル0120・294・456。