東海漬物 「キューちゃん」55歳の挑戦 | フレイルも認知症も減らない日本

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Nobody is in possession of the ultimate truth.

ウイルスと戦争の世紀で人生を終えることになるとは・・・まさに第三次世界大戦前夜の状況ですからね しかも本日は日本の金融市場はトリプル安

売れなければ意味が無いのが小売業。

では、
医療でもソレを・・・




日本経済新聞より。


東海漬物 
「キューちゃん」
55歳の挑戦


漬け物のロングセラー商品「きゅうりのキューちゃん」で知られる東海漬物(愛知県豊橋市)。発売から55年がたった今も、キューちゃんに新たな魅力をまとわせようと知恵を絞っている。


■CMに人気者を次々起用、
ブランド磨く

 
スキージャンプ女子の高梨沙羅選手がキャラクター人形と並び、ごはんと一緒に漬物をポリポリと食べる。東海漬物(愛知県豊橋市)のロングセラー商品「きゅうりのキューちゃん」のテレビCMだ。社長の永井英朗(60)は「かんだときの『バリ、ボリ』という効果音ひとつにも議論を重ねた」と明かす。

「キューちゃん」のテレビCMには、
1962年の発売当初から強くこだわってきた。63年のCM第1弾には人気絶頂の坂本九を起用。以降も俳優の風間トオルやサッカーの三浦知良ら、時代の人気者を起用した。

「すべてはキューちゃんブランドを守るため」と永井。漬物は家庭で手作りするのが常識だった時代に、市販の漬物の広告を大々的に展開するのは冒険だった。

それでもイメージ戦略に心を砕いたからこそ、半世紀超の長寿をなし遂げた。

東海漬物は41年に名古屋市で創業した。戦後に食材が確保しやすい愛知県田原町(現田原市)に拠点を移した。

当時から漬物産地として知られた愛知県で業界最大手に成長できたのは、全国展開を早くから意識し、他社に先んじて様々な工夫を凝らしたからだ。

たくあんやぬか漬けが主流だった時代に、「キュウリをしょうゆ漬けにしたら珍しい」という発想からキューちゃんは生まれた。

しかも量り売りが一般的だった中で、ビニールの小袋包装を採用して衛生面や利便性を向上させた。

すぐに黎明(れいめい)期のスーパーマーケットに浸透し、同市場の拡大にあわせて急成長を遂げた。

その後も開発の手を止めなかった。

66年には業界初の加熱殺菌技術を導入。73年には「キューちゃん専用」の田原工場を稼働させる。

98年には保存料を使わず、着色料を合成品から天然物に変えることに成功した。

時代と共に消費者の健康志向が高まるなかで、塩分量の削減に継続して取り組んだ。

発売当初の塩分量は10.5%だったのが、
今では3.8%と半分以下に。

2006年には「漬物機能研究所」を設立し、品質の改良に余念がない。



■キムチに参入、
     業界でトップシェアに

 
漬物業界の活性化にも一役買っている。

00年にキムチに参入し、日本人の味覚に合わせた「こくうま」で市場を広げた。トップシェアとなり、キューちゃんを超える売上高を稼ぎ出すまでに成長した。子会社として設立したピックルスコーポレーションもキムチを手掛け、「ご飯がススム」で業界大手になった。

だが少子高齢化や食文化の多様化が進む中で、漬物業界の先行きは不透明感が増している。

総務省の家計調査によると、
1世帯あたりの漬物の年間支出金額は
16年で8000円と、
20年前から3割強も減った。

今こそ創業当初からの「あたって砕けろ」の精神が問われようとしている。

 
「キューちゃんなのに新しい」。

2月に千葉市で催された商談展示会で、東海漬物のブースの前で多くの来場者が足を止めた。置いてあったのはエスニック風の
「パクチー味」。際物にもみえるが、永井は「若い女性バイヤーの評判が良かった」と真剣だ。

東海漬物はここ数年、こうしたトライアルな味のキューちゃんを立て続けに投入している。黒こしょう、ゆずこしょう、そしてパクチー。15年には料理に使いやすいように、あらかじめ刻んである「こつぶキューちゃん」を発売している。

今年で55歳になるキューちゃんだが、あり方や見せ方を変えることで、消費者にとって変わらぬ存在であり続けようとしている。「国によって基準が異なり難しい」(永井)とされる漬物の海外輸出も、品質改良を続ければ、挑戦する日はそう遠くないかもしれない。業界の革命児の挑戦は続いている。(敬称略)


■「キューちゃんは
アイデンティティーだが
成長商品ではない」。
東海漬物の永井英朗社長に聞く


 ――「きゅうりのキューちゃん」は発売から今年で55年になります。ロングセラーの秘訣は何でしょうか。

 
「発売当初から時代の流れを読み取ったイノベーションがあったからだ。きゅうりの漬物といえばぬか漬けが主流だった当時、しょうゆの香りがする風味や、『パリ、ポリ』という独特の食感は新鮮だった。販売手法も、店頭での量り売りが一般的だった時代に、いち早くビニールの小袋包装を採用して衛生面や利便性を向上させた。次々とスーパーマーケットが登場していた時期と重なったことも相まって、爆発的に売れた」

「はじめから全国展開を狙った施策を打てたこともブランドの確立につながった。特に大きかったのはテレビCMの効果だ。1963年にテレビCMを投入したが、ちょうど64年の東京五輪と重なり、テレビが一般家庭に普及するタイミングだった。『キューちゃん』という大胆なネーミングもブランド化に一役買った。漬物に限らず食品全体で見ても珍しかった。そのぶん消費者へのインパクトは大きく、普及を後押しした」

 ――キューちゃんのヒット以外に、会社としてここまで成長できた要因はありますか。

「キムチ事業への参入だ。2000年に参入し、04年に主力商品『こくうま』を発売したことで飛躍的に伸びた。現在、売上高の半分以上はキムチ事業がたたき出している。キューちゃん自体は売上高の割合でみると10%ほどで、柱はキムチ事業といえる。工場は11あるが、キューちゃんの製造工場が1つなのに対し、キムチは製造工場が7つある

 ――業界でも珍しい「漬物機能研究所」を設立しました。

 「商品や技術の開発を担っている。キムチ事業のヒット商品で、にんにくを使用しない『におわなキムチ』は、研究所における発酵技術の開発のたまものだ。キューちゃんでも、機能に幅を持たせようと細かく刻んで調理に使いやすくした『こつぶキューちゃん』は、研究所で客の要望をもとに開発したものだ。研究所の設立が商品力の強化につながっている」

 ――全国区ですが、本社は愛知県豊橋市のままです。

 「本社の人間は営業関係で全国に出張が多いが、近くにある豊橋駅は新幹線が止まり、西へ行くのにも、東へ行くのにも便利だ。コストをかけてでも移転するメリットがあるなら別だが、そんなに大きな本社は必要ないし、現在の拠点で十分だと考えている」

 ――今後の戦略をうかがえますか。

 「キューちゃんのブランド力があったからこそ、会社がここまで成長できたのは間違いない。守っていかないといけない気持ちはある。これまでもリニューアルは重ねてきたが、何もしないと商品サイクルは落ちてしまう。客にとっての価値が何かを感じ取った上で、話題作りの施策は欠かせない。ただし、キューちゃんは当社にとってアイデンティティーだが、成長商品ではない。いろんな施策を打ってはいくが、数字が落ちれば、やめなきゃいけない時が来ると考えている