お化けすきというのでしょうか、 軽い本を読みたいとき手に取るのは怪談話。![]()
このところ、 怖い話にはまって中世の怪談からはじまって岡本綺堂の怪談、
三遊亭円朝の「真景累ヶ淵」、南北の「四谷怪談」と読んでいくうち、そんな世界に
惹かれるのはそんな妖しい不思議がありえたかもしれないということに
ワクワクときめくのかもしれないと思いました。![]()
この本もタイトルに惹かれ能のワキ方である安田登さんにかなり興味をもって
読みました。安田さんは甲骨文字も読みこなし、漢和辞典も編まれた上に能楽師に
なられたという多才な方です。私は能はまったくといっていいほど知らず、
かろうじて歌舞伎の演目のいくつかが能からのものという程度の知識でした。
この本は幽玄能についてかかれていますが解説というほど固くなく、とても興味深く
楽しくよめました。 物語もさることながら旅をつづける者が幽霊や精霊との出会い、
つまりは 異界と交差するのはなぜかという考察に惹かれました。
幽霊や精霊が「シテ」 まるで存在を消しているかのような者の 「ワキ」。
なぜ、身を空しくしていないと異界と出会えないのか、彼岸と此岸とつながる道は
どうやって見えてくるのか。![]()
「未来は今までよりよくなる」といった期待や視点は存在しません。
芭蕉の旅の意味、漱石の「草枕」の主人公の旅。 その原点は能かもしれないと
いう著者の視点。
能はまったくほかの演劇とちがうんだと思いました。
「負のものがたり」を引き受ける役割の「ワキ」とはどんなものなのか。
優雅で贅沢な旅ではなく存在のみえないような旅をして異界のどこかに
つながってみたいと本気で考え始めてしまいました。



