稲作の伝来ルートは2つあるといわれています。
一つは、朝鮮半島経由。
もうひとつは、中国の江南地方から直接九州に到達。
というルートです。
おそらく朝鮮半島のルートが主となる経路だと思われますが、
朝鮮半島にはみられない南方系の高床式倉庫跡が日本の遺跡から出土していることから
江南ルートも決してないとはいえない。
日本に伝来した稲作は、弥生時代を通して飛躍的に耕地面積を拡大していきましたが
農具の面でもその進化は著しい。
初期のころは鍬や鋤といった耕作具は木製、鎌や石包丁などの収穫具は石製の道具を使用していましたが弥生時代も後期になるとこれらは鉄製に取って代わって収穫率も増大します。
また水田も自然の低湿地を利用する「湿田」によって人工的な「乾田」が多くなっていきました。
日本列島に稲作が導入されたことによって人々は定住生活をするようになって
土地や収穫物をめぐる戦争がはじまって貧富の差が発生してしまい、
支配するものと支配されるものに分かれ、各地に小国が誕生しました。
それまでの社会構造は稲作によって完全に壊されてしまったともいえます。
