みんなが欲しいと願ってやまない『お金さま』


大人になってからとっても『お金』に
縛られた人生になってしまった


『お金』がないと生きていけないし
いろんなシガラミを生んでしまう


『お金』に対してもつ思いや考えを

よーく、今一度考えてみました



良い意味でも悪い意味でも
強い力を持つ『お金』


人を誤った道に連れていってしまうこともある


すんごい貧乏を経験すると
『お金』で幸せは買えないなんて
口がさけても言えない


『お金』ってすごく大事


....って?かなりネガティブな印象ばかり
しかも、漠然とした恐怖さえ抱いているんじゃ?


と思いました。




本当に望む『豊かさ』ってなんだろう?
『お金』に何を私は求めてるんだろう?
『お金』の何に縛られているんだろう?


結婚しても友達とでも
価値観のズレは『お金』から
生じることが多い。



『お金』がたくさんあれば
私は離婚せずにすんだのかなぁ...



私は細かいことを気にしない性格で
きっちり家事はやらなかった


元夫は私のそうした行動に
小さなストレスを蓄積していったことであろう
じゃあ、自分でやったらいいし
もっと言い方があるでしょうよ!
っていうのが妻の言い分。


『お金』があったら家事代行でも
頼んでしまえばいいのだ。


元夫との離婚の大きな原因は
元夫の借金である。


莫大な資産があれば
わだかまりもできずに済んだかな?



いや、そんなことはないだろう

元夫の心に巣くうモヤモヤが
借金という行動にださせてしまう


『お金』で解決することはできない




こんなに生活に密接しているにも
関わらず『お金』の真理に触れようともしない



『お金』ってもっともっと大きなエネルギーであり
実物はただの紙きれだ。

1万円札の原価は確か20円位。


その紙きれをこの世の人間は
追い求め、奪い合い
時には殺し合ったり
一喜一憂している



私が思うに『お金』って
人のもつ思いや気持ち
人のもつエネルギーを増幅するもの

なんじゃないかって思った。


私が求める『豊かさ』は
自分や自分の大切な人
そして世界中の人の
いいエネルギーが増幅していくこと


そういう風に思うようになった



『お金』という虚像に振り回されすぎていた
人と人、そして自然界に流れる大きなエネルギーの塊

『お金』って汚いイメージがあるけど
そうじゃなくて、そういうエネルギーの中に
身を置かせてもらっている、
ただツールがこの数字の書かれた紙何だろう。



『金は天下のまわりもの!』
と言って私の叔母は初ボーナスを
私の分娩代として母にどんと渡したらしい。


(私はそうして病院で産まれることができた)


そうか!それが真理なんじゃない!
叔母のくれた『お金』によって
私たちの喜びというエネルギーが増幅した



私もそんな流れの一人にになろう


一人、『お金』を貯め込むことばかりしてると
大きな流れの堰になってしまう

自分にはそれ以上入ってこないし
紙きれをたくさん保有することが
私の求める『豊かさ』ではない


私決めた!
『お金』をたくさん人が喜ぶことに使って
(もちろん自分を喜ばせて良いエネルギーも生む!)
お金は天下の回りものだし、
私は運がいいから
その分まわりまわって
『お金』が使った分戻ってくるだろう


そういう川の水を浄化するような存在でいたい


『お金』を大切に扱って
支払いをするときも
いい気持ちで送り出してやろう


『お金』を稼ぐ、手にすることって
すごく大変。


労役の対価としてもらうものという
価値観がこびりついているが
そうでもないかもしれない

ひょんなとこから大金が
懐に舞い込むもとも
私は結構多い。

というか、そっちのほうが
よくあるかもしれない


お金に限らずたくさん頂く


すると、罪悪感というか後ろめたさが
どうしても先にきてしまう


これもやめよう!


人からせっかく頂いたいいエネルギーを
喜びと感謝の気持ちをもって受け取ろう。


そこにネガティブの感情をもつことは
凝り固まった価値観のように思う
『お金』に執着しすぎているんだろう


私も善意を善意をもってうけとり
もっといいエネルギーに変えることの方が
私にくれた方々も喜ぶだろう



『仕事』に関してはどんなものでも
大概楽しく働ける。


『仕事』も周りの人の喜びに貢献することで
とても気持ちのいいものだ


ついつい、子供に買って買ってとねだられると
「そんなお金はありません!」と言ってしまう
学校でも教わらない『お金』について
子供に大きく影響を与えるのは
親のお金への意識なんだと思う。



お金持ちの友達を見ていると
明らかに私とは『お金』への
向き合い方が違っていた


そこから今回、考えてみることにした


ちょっとした習慣が
やっぱり違うのだ。


この気付きをどうもありがとう。


私は自分に『お金』を使うのは
なんだか悪いことをしている気分に
いつもなっていたけれど
これからはそんなことはなく
気持ちよくお金を使えるだろう



子供たちにも良い影響になるだろう。

私の過去はあんまり人に話しても
通り一辺倒な反応しか返ってこないので
他人には読んでて面白くないことだと思う。


でも、わざわざブログに書くことにした


面白くない過去をあえて書くこと
人に伝えることは
正直、わたしにとって
あまり意味をもたない


既に私には面白くない過去でも
悲しい過去でもなく
単に過ぎ去ったものという認識だ


辛い出来事は人に聞いてもらうより
自分で紙に書き出すことの方が
客観視できて痛みも癒えるし
経験として次に生かすことができる


かえって、そういった
一時的に困難なことを抱えてた方が
生きていく上でいいパフォーマンスができると思う



私は今まで膨大な量の
ノートをのこしている


そこには、なんでも書く


どうでもいいことも
思ったことも全部全部書く


走り書きみたいなものから
大事な予定もパッと思いついたアイディアも
頭の物を全て頭から取り出すように書く


そうしてこれを保管してきた


これを振り返ることは
今までなかった



ここにきて余裕ができたのか
思い立ち読み返してみた



私は過去は過去だと思っていたから
書くことだけに意味をもつ、
懐古趣味なくのこしてきたノートたちだったけど


改めて振り返ってみると
意外や意外!


今の自分の立ち位置がハッキリして
未来への道筋も見えて
そしてそこへ進む私を
過去の私がエールを送っているように感じた



10代の私は未熟なりに
たくさん悩み感じ考え
頑張っていたんだなと

労いたくなった


それから今の私は
昔の自分に恥じないように
生きていかなくてはなぁと思えた



ここで、この感覚をもっと
生きたものにしていきたいと考えた
もっといい方法にできるんじゃないかって


ノートは耐久性に優れたモノへ移行。

Evernoteという選択肢もあったのだけど
瞬間的なものをすくいあげるには不向きと考えた


読み返したノートの中で
より今の私に訴えかけたものは
その時、フっと一瞬起こった感情を
おそらく切り抜いたものだったであろう。

突然、鼻をかすめた何故か懐かしく感じる香り
そこから糸をたぐるように思い出した感情


そういうのが今の私を作ってたりするんだなぁ


そしていろんなことが連想される


爆発的に思考が広がり
当時は知り得なかったが
マインドマップのようなものが
書かれていたりした


Evernoteもメリットがたくさんあるが
初期の何も淘汰されていない情報については
とりあえずすくいあげることに向く
モレスキンを採用することにした


アナログだとどうしても
見返すときに時間がかかる
読むのがすごく面倒


ここをどうにかできないかなぁ...


って本屋をふらふら
自己啓発コーナーなんかを
のぞいてたら、みつけました!



っていうか、私が思ったこと
そのまんまヒントが書かれている
じゃないか!って本(笑)


『モレスキン「伝説のノート」活用術』
(私はコノ時、初めて自分の買ったノートが
 モレスキンという超有名なものだと知った)


いやいや~先人たちはとっくの昔に
このことに気が付いているんですね


恥ずかしい限りです(笑)


(数少ないこのブログを読まれている方の中にも
 『何を今更...』と思われている方もいらっしゃるでしょう)



でもね、でもね...
いいんだよ!


これが本当に有益だって
自分で気が付いたんだから!


何も考えないで出逢った情報より
なんとかたぐり寄せたものの方が
鮮やかに頭に保管されるものですから




今は20代半ばにさしかかるとこだけど
30半ばになるのが今から楽しみです


今日ここまで、
なかなか良い歳の取り方したと思う


悩みがない私は
友達によく聞かれます

「どうしてそんな状況で笑っていられるの?」って。

(バカなの?)って聞こえますが、
私の被害妄想だということに
しておきましょう(笑)


私はこうして、すぐノートの中に
背負ってる過去を一旦おろしてしまいます

痛いことも辛いことも
数秒後には過去になる

おろすときは慎重にもう一人の私が
おろします、俯瞰したものを置く


この痛みが未来もつづくと
思い込んじゃうから
苦しいし、悩むと思う


過去と未来にはさまれた「今」には
本当は何も悩みはないはずです



痛みの真っ只中なら苦しみはするけど
悩まない。考えはするけど悩まない。


「~んだよ!」って友達に答えます(笑)




過去の私ももっと味方になってもらおう!
と思いましたぁ~










風邪をひきました...
辛い~


子供が風邪ひいて看病よりも
ママ風邪ひいて育児って
ものすごく辛いですよねぇ


あぁ早く治らないかな...



シングルマザーで近くに
身寄りもないとなると

ほんと、ちょっとしたピンチが
一大事になります。



今回、膝蓋骨を粉砕しまして
日常のあらゆることが不自由に
なってしまいました。



それで、うちの子、

1ヶ月と少し施設に預ける事に


今は帰ってきて一緒なんですが


やはり走って追いかけられないと
外歩くのもめっちゃ怖い訳です



でもボランティアの方の協力を得
なんとかやっております



前置きが長くなりましたが
ボランティアってなんだろう
って話を今日はしようと思います



完全に無償な訳ですよねぇ...
しかも、交通費やらは自腹だったりする
ので、むしろマイナスの方が大きいみたいです



なのにも関わらず、うちの子や私を
お出かけに連れていってくれたり
自転車をプレゼントしてくれたり
とにかく、たくさん助けてもらってます


子供もこの方にとっても懐いていて
私も気持ちの面でもかなり
楽になりました。



私のような者は
何も返すモノもありません
見返りなんて求めてないのだろうけど


どうして、いきなり
私のこと何も知らないのに
こんなに良くしてくれるんだろう



不思議でたまりません




なんかね、この話書こうと思ったのは
私の中でボランティアのイメージが
今回の一件で大きく変わったからなんです






ボランティアは偽善だ!とか
胡散臭い、表面的だとか
そういう意見も聞かれるじゃないですか


私は表面的だろうが
エゴだろうがどっちでも良い
と思っていて、


むしろ、ボランティアを
いちいちとりあげて
良いようにも悪いようにも
なんか声高に言うのは


美しく崇め過ぎじゃない?



そんな風に思ってた。




どんな下心があろうがなかろうが
助けの手が必要なのには
変わりないよ、助けになってるんだ



来てくれてるボランティアの人、
豪快なおっちゃんなんです


保育園の送迎を依頼してたんですが
帰路、寄り道して畑で育ててるスイカを
子供と収穫したり、せみを捕まえてみせたり


なんだろう...このあったかい感じ。


それについてお礼を言うと
なんだか嫌な顔するんです
どうでもいいって顔してて

なんか、めんどくさそうな表情


私や子供が笑ってると
初めて笑ってくれる



近所のおっちゃんって感じで
ただツールがボランティアだった

って感じの恩に思わせてくれる


...そう、なんか、いっそのこと
お金が発生したほうが
こちらも気楽に頼めるって今まで思ってた



お金で解決しちゃった方が
楽な世の中で
人との関わりもその方が
安心できるって思ってた



無料(ただ)ほど高いものはない


私自身、ボランティア精神は
美しいものでも何でもなく
困ってる人を助けるっていう
人として当たり前の気持ちだと
思っていながらも


根本ではそんなの信じきれていなかった



今の世の中、私みたいに
ひとりで子育てするしかなくて
簡単には預け先が見つからない人も
実はたくさんいると思う





だけど、責任が問われすぎて
預かるのも、簡単にはいかない



安心安全もすごく大事なことだけど
ほんとちょっとの手があると
それだけで息詰った生活から
救われることもある



あのおじちゃんは、
特別なことしてるつもりないんだなって
見ていてすごく感じる



ボランティアって肩書きがないと
人助けも怪しく思ってしまうんだろうな
私も。


私は平成の生まれだけど
古き良き時代って
そういうことだったのかなって思った

昭和に戻るなんてどうかしてるけれど





うちの子はパパはいないけど
そんなおじちゃんにも出逢えて
私はいろんな人に
子育て手伝ってもらえて
それって子供にとって
とっても良い事なんじゃない!って思う。














私、
人らしく、
醜かったり
愚かだったり


でも愛をもって
心をもって

そんなふうに例え遠回りな
不器用な生き方でも
そういうのが好きだ


スマートに器用に
自己啓発本とか必死に読んだり
今よりもっとって
向上心持つのも大事だと思うけど


できたら認めたくない
どうしようもない人間らしさ。


そんな自分も認めて愛せたら


いろんな縛りから自由になってく。



子供を育てるようになって
そう思えるようになった


効率主義だったけど
子育てに関しては
効率を考えれば考えるほど
自分の首しめてっちゃうんだよね


損得勘定で動いてたけど
損得考えたら結婚も妊娠も
踏み切れないと思う、あたしなら。



すんごく上手なダンサーって
実はたっくさんいる。


でも、人の心を動かす踊りって
そういう、人パワーみたいのが
あふれてる踊りだと思う。

そういう人ってのは
あんまりいない。と思う。


惹かれるのは心とか愛があふれてたり
何か波長の合う感情があふれてるからじゃない?


それに共鳴して涙がでたり胸が高鳴ったり



0からモノを造り出すって
とても尊い作業よねぇ




あたし、あんな過去のおかげで
かなり屈折してて
一癖も二癖もある人間だけど
自分を誇りにさえ思う笑



恨み、憎しみ、悲しみ、怒り、虚しさ

胸がえぐられる位に負の感情に
どっぷり浸かって
足掻いてドロドロになりながらも
生き抜いて...


一周まわってスッキリ!みたいな。

そういう自分が可愛らしく思う


一生懸命、悩んで、もがいて、足掻いて

「明日、死ぬ」って思いが
こびりついて離れないのに

悩んでる時間なんて勿体ないのに
心は思うようには動いてくれない


心押し殺してスマートに生きれる程
器用じゃない

し、そんな機械のような自分は
心底、望んでないんだ


ずっと血が通って人間らしく
成功する人間からはかけ離れた
器用貧乏な私

ほんとにしょうもなくって可愛いなって


たぶんそう思うようになってから
私は解離性障害の自分も
ふつうに思えて、知らぬ間に
日常に支障がない程度になった。




おはようございます!

noda、最近、ダイエットしてました~



タイトルの通り、-7㎏です!

ウエストが特にやばくなってて
70㎝をオーバーしてたので
腹筋を集中的にやりまして
現在58㎝になりました。


これは、腹ぺこの時ならず
腹八分目時もです^^


こんだけ結果でると
腹八分目を意識してご飯食べられる
ようになりました~



身長153㎝
体重54.2㎏→47.0㎏

ダイエット開始は...2014/7/28~ですね。



こんなに減ると思ってませんでした。
ていうか、ウチに体重計がなくて
銭湯に行った時にはかるんですよ

そう、滅多に計らないから
私の中で自分の体の感覚に
ものすごく敏感になるんです


内蔵の健康に気を使いました


やっぱり、健康だと
スルスル体重落ちるもんですね


私がもともと太った原因は
確実に不摂生によるものなので


そこを改善しようと思いました。



ダイエットって実は本気で取り組んだことが
バレエやめてから一度もなかったんです



20代半ばになり、
少しずつ代謝の悪さを感じるようになりました

っていうか、膝の皿わる程こけたのが
本当に悲しかったです。


結構、運動神経には自信がある方だったので
体重を自分で支えられなくなった....
重い....そんなの嫌だぁ!!!!ってことで
ダイエット開始しました!



それに、自己管理できてないって
なんかかっこわるい....


子供が小学生になった時

運動会、親子競技とか
はぁはぁ息切れしちゃうママなんて
だらしないわよ!



次は、自己流ダイエットの中身を
気が向いたら更新しようかとおもいますー