謹んで新年のご挨拶申し上げます。
 
今年も喪中。
親族の不幸が続きました。
 
社会人なりたての頃は、年末年始、実家に集まることが通例でした。いつの頃からか、年末年始に集まる機会はなくなりました。きっかけは2014年。
 
10年前、親父が亡くなりました。ガンでした。62歳でした。結婚式には呼べませんでした。祖父も60歳で他界。寿命を強烈に意識するようになりました。自分は何のために生まれてきたのか。残りの人生で何を残せるのか。2016年、独立起業しました。
 
2023年
作家活動として
1年間で4冊出版し、2冊が増刷。うち1冊は海外展開(台湾)。100万部に向けて次の企画を進めています。
 
学校の講師として
年間授業先は2校に増えました。累計生徒数は80名を超えました。「公共」の資料集に僕の著作と活動が紹介されました。4年目となる今年は100名を超えて、学問をつくる活動から、学校をつくる活動にも着手し始めます。
 
会社経営者として、
拡大しました。M&A時の10倍以上となり、従業員数も200名を超えました。道半ばでしたが代表として経営からは退き、一株主として応援することになりました。

独立リーグの球団をM&Aすることになりました。自分の未来年表にあった項目のため、迷いなく踏み切りました。実態はかなり大変でした。半年間で、戸建てが買えるくらいの身銭を切りました。外から見てる景色とは裏腹に、根深い課題にぶつかりました。思い出すと辛くなる。着任当初、マジでやられました。詳細は書けませんが、全部記録した。いろいろ片付いたら整理して書籍化する。後に続く後輩たちが同じミスをしないような指南書にする。ようやく課題の根っこらしき事案を発見した。まずは結果で現実を変える。あとはやるだけ。
 
2024年〜
野球、教育、まちづくり、いっぺんにやります。
後に伝説となるようなプロジェクトを起ち上げます。地域社会、プロスポーツ、人的資本の課題を捉え、先進的な事例になります。プロジェクトパートナーは、60代後半の地元の先輩たち。彼らの息子さんと僕は同世代。つまり彼らは僕の親父とも同じ世代です。不思議な縁を感じます。完全に意気投合しました。出会いに恵まれました。
 
「34歳?うちの子と同い年や」
「若いな、羨ましいわ」
「ぼくらもいつまで生きてるかわからんから、一気に進めるよ。短期勝負や。」
 
短期勝負。望むところです。僕だって、いつまで生きてるか分からない。一気に進める。誰にも邪魔させない。でも困難も受け入れる。エンドレス。いつまでもやってやる。
 
気合いの入ったおじさんはカッコいい。いろんな地域で地元の名士のような人たちに会ってきた。「オレが1番偉い」「オレがこの町を仕切っている」「県知事はおれが連れてきた」「あいつは大したことはない」誰が本当のことを言っていて、誰がダウトなのか初見では分からない。本人曰く「偉い人」なはずなのに、人望がない。いろいろとせこい。違和感のある顔つきの人が多かった。本当にすごい人は、未来を切り拓いてきた人は、議論が建設的。ムダな動きはしない。少年のような純粋な気持ちでことに向き合っている。未来を描いている。年齢は関係ない。
 
地方だから、独立リーグだから、人が減っているから、あれだから、これだから、、、若いから、まだわかってないから、東京から来たから、何者か良くわからないから、挨拶きてないから、、、
 
このままでいいわけがない。
みんな変えたがらない。変えようとする人を非難する。「そこに道はない」という。でも道を切り拓いたら、みんな我が物顔でその道を通る。開拓者は報われない。それでも僕はやる。結局僕は野球人。野球大好き人間。野球の未来を背負ってる自負がある。文化継承・発展を真剣に考えている。どう乗り越えるか、それだけ考える。社内外から批判はある。でもやる。明るい未来は、自ら手繰り寄せる。伝統とは革新の連続。
 
僕には夢がある。同時に寿命もある。
期日をきって、進捗させるしかない。
明るい未来と、勇気を与える物語、学び勤しむ場所、全部つくる。大変?大変に決まってる。
 
オレらがやんなきゃ誰がやるんだ