『古田敦也ののびのびID野球』

 

著者は、古田敦也さん。野村克也氏の一番弟子といっても過言ではないですね。

 

僕が少年野球時代、キャッチャーにコンバートした時に、十日市場のブックオフで買った記憶があります。

 

1990年、野村克也氏がヤクルトの監督に就任した1年目。

のちに「ID野球元年」と言われる、日本の野球が大きくアップデートされるきっかけとなった年でした。

 

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当時、3番手捕手だった新人、古田氏が、

飯田選手、秦選手はじめとしたレギュラー陣の怪我によって

偶然得たチャンスは、当時最強の巨人戦(この年2位と22ゲーム差で優勝)。

 

ヤクルトは連敗中で雰囲気も悪く、投手陣も冴えない中、

当日の先発は、怪我明けの助っ人外国人(バニスターだったかな)。

 

130km/hそこそこのストレートと、緩めのカーブ。

球種はこの二種類だけで、勝負してみろと、

野村監督に指示されて、巨人打線のビデオを一晩かけて研究し、見事完封勝利をし、チームの連敗脱出と、古田選手としてレギュラー奪取のきっかけとなったというエピソードがありました。

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僕はこのエピソードが今でも頭に残っています。

(手元にないため、原文そのままではないのですが・・・)

 

いろいろと言い訳ができる状況でも、

自分ができる準備を全うして、結果を出す姿勢、

 

「調子」という一言で、

深く分析されていなかった結果について、

根拠を求め、裏付けを探り、再現性の高いリードを体現した古田氏。

当時の野球界に、間違いなく風穴を開けました。

 

本書執筆の1993年は、バリバリの現役選手だったため、

書けないこともたくさんあったかと思いますが、

幼少期のやんちゃっぷりなどは、当時小学生だった僕にとって、恐縮ながらも、身近に感じられる作品でした。

 

当時、全国の「メガネ球児」に勇気を与えた人だったと思います。※小学生の頃、僕も「メガネ野球少年」でした。

 

『古田敦也ののびのびID野球』