ノートを見返すという作業は非常に重要である。

ノートに書いた内容は、ほとんど頭に残っていない。
身体に刻みこみ、自分の行動に少しでも反映されればいい。
その行動に反映されたかどうかを確認するための作業が、
ノートを見返すという作業に当たる。

昨日もチラッと書いたが、ノートを書くという行為はスキルであると自分は考える。スキル化するためには、身体に落とし込むことが必要がある。つまり、何も考えなくても出来ているレベルにまでなる必要がある。

身体に刻まれているかどうかを測るためには、一定の期間を空けて、ノートを見返す必要がある。一定の期間を空けないと、書いた内容が無意識にならない。自分がしっかりと一歩ずつ進めているかどうかをチェックする作業でもある。

一定の期間とはどのくらいなのか。
まだはっきりとは分からないが、1年間空けると、気付きが多いことは確かだ。


とは言っても、見直すことを前提にノートを書くと、途中で書けなくなってくるものである。
その1ページや、その1冊、その日のうちに、まとめようとする必要などない。より本質的な問題を発見し、解決手段を選定するためには、100の水平展開と1/100を選びぬく根性が必要である。言い換えるなら、粘り強く問題と向き合う必要がる。

きれいに書くことは目的ではない。
将来の自分のために書く必要はない。
「今の自分のため」の残骸の中から、必要な部品が見つかる。
残骸になることを恐れてはいけない。
その日のうちになんて思う必要はない。
曖昧なまま突き進む姿勢が必要である。