あっちゃんの眠れぬ夜のひとりごと


グランド上で、学年別の隔たりなど、あってはならない。
そもそも学年という分け方は、スポーツをするうえで、大事な概念ではない。

学年毎のミーティングが増えると、自然と壁が出来てしまう。

「4年生、自分達が言うほど出来てないよな」
「3年生、最近がんばってるよな」

客観的に見るクセがついてしまう。
客観的な立場でものを考えるのは、悪くない。
しかし、そればかりだと評論家になってしまう可能性は高い。
過去、辞めて行った仲間は、みんな評論家だった。行動者ではなかった。
悪い点が見えているにもかかわらず、自ら変えて行こうとはしない奴は、いつまでも不満を語る。
オレは、「オレの力で変えてやる」と思ってた。
不満を感じる感性があるなら、実際に変えて行かないと、もったいない。


ここでいう「4年生」とか「3年生」とは、全員のことを指しているのではなく全体的な印象を述べているだけである。
そのくくり自体は悪くない。事実そうなのであれば。
しかし、「4年生」「3年生」と分けて考えてしまうと、
誰か一人のミスが「4年生のミス」「3年生のミス」という捉え方となってしまう。
あくまで前提はチームである。

「あいつのミスは、チーム全体のミスなんだ」
という認識が必要。

「あいつのミスは、4年生がそういう学年だから起きたんだ」
という認識は、次に繋がらない。
常にhowを考える必要がある。
howを考える:「じゃあどうしたらいいか?」



と、がんばってみんなに伝えてみた。
昨日はよかったけど、今日はどうなるだろうか。




あっちゃんの眠れぬ夜のひとりごと