こんばんは。
土曜日の夜、発熱があり、せん妄状態にあった父は4時前まで寝たかと思えば起きて徘徊?しようとすることの繰り返し、途中点滴のチューブを引きちぎるほどの大暴れがあったりと当直のみなさんに大変なご迷惑をお掛けしましたが、さすがに疲れ果てたのか4時頃に深く眠ったようでした。私は朝6時に父がしっかりと眠ったことを確認して一旦帰宅、午後改めて病院へ行きました。

熱も7度台まで下がり午後からは身体を拭いてもらったり、着替えをさせてもらったりと気分良く過ごしているように見えました。時折、シャワーを浴びたがったり、院内を散歩したがったりしましたが、発熱のこともあり、ベッドの上で過ごしました。

夕食の時間が過ぎ、しばらくした頃…、また父が車いすで体重を測りに行きたいと言い出しました。熱があるし、ごはんは食べてないし、体重は昨日測ったばかりだし、と取り合いませんでした。「気分転換しようと思って…」と父が言いました。シャワーといい、散歩といい…入院生活に飽きて気分転換がしたいのかな、と思っていると父が泣き始めました。突然のことで、驚きました。号泣でした。もしかしてまたせん妄状態なのかな、と思いましたが、泣きじゃくるなかで訴えていたのは、とにかく何を食べても苦くて食べられず辛いこと、それから、なぜ、こうなったのか、何も悪いことをしてないのになぁ…という悲しみと悔しさでした。私にとっても苦しく、なんと声を掛けてあげて良いのか、私があれこれなんとか食べさせようとし、食べられなかったことにがっくりして無理をさせてしまったことも父を更に追い込んだのでしょう、自分の愚かさを責めました。

ただ、これまでひたすらに耐えてきた父が苦しい日々のなかでも、比較的痛みも軽く、機嫌良く過ごした今日、なぜ突然限界を迎えてしまったのか、なぜ今だったのか、、かすかに疑問を感じてもいました。その違和感と自分の愚かさに対する怒りから私は泣かずにいられました。

車いすを借り、あてもなく夜の院内をただただクルクルと回りました。車いすを持ってきてくれた看護師も泣きじゃくる父に驚き、事情を知ると掛ける言葉がないといった様子でひと言、ごめんなさいね、と言い残して部屋を出ました。熱も気になり、また、中庭も閉鎖された夜の病院では落ち着ける回る場所もなくすぐに病室に戻ってしまうのですが病室に戻るとまた悲しみがこみ上げるようで涙が溢れ、再び車いすへ。途中むせて汚れたパジャマを着がえる時も、痩せて筋肉が落ち力の入らない太ももをさすっては泣き…父には、しっかり食べて自立できないと家には帰れない、という気持ちがあり、食べられないことは帰ることを諦めることを意味しているのです。放射線科医に会わせてもらえず、副作用についてよく分からない私は、父に味覚障害が起きていることも気がつきませんでした。事前に分かっていれば…。そんなことを繰り返し面会時間を大きく過ぎてようやく、涙が止まりました。

ベッドに落ち着いた父を眺め、今夜も泊まろうか、迷っていたとき、思い出したのです。

今日面会に行くと例によって主治医のコメントが書かれた血液検査結果がサイドテーブルに置かれていたことを。そして父もそれを見たらしく、老眼鏡がだしてあったことを。

内容は私も見ていました。しかし、主治医の医師としての勘を鼻から信用していない私は気にもとめなかったのでまさかその紙が父にこれほどのダメージを与えていたとは思いも寄らなかったのです。

そこには赤ペンで
「癌増大による閉塞性肺炎を疑います」と書かれていました。

鼻水を伴う急な発熱で、閉塞性肺炎。前日は誤嚥性肺炎と騒いでいたのに。今日むせませんでしたか?と再々聞かれ、主治医がいなくなってから、看護師に「お昼間、散歩でアイス食べてむせたからかなぁ…」ともらすと看護師が「むせたとしてもそんなすぐには熱出ませんよ」と言ってくれました。そんなレベルです…。何でも、勝手に疑えばええがな、とすぐにバッグに放り込んだのですが父はこのコメントの『癌増大』に、取り付かれてしまったのでした。

つらい治療を頑張っているのに癌増大…。そんな事は理由が分かればなんてことない、気にすることない事なのですが、いまの父には堪えたのでしょう。

平静を装いながらも怒りに震える手で手近なメモに主治医にあてて手紙を書きました。骨転移をなかなか見つけてもらえず痛みに耐え続けた父が、主治医の何気ない一言でとうとう絶望してしまったこと、早急に緩和医へ繋いで欲しいこと、放射線治療の副作用についても専門医の話が聞きたいこと。

書き終わり、担当の看護師に託して頭を冷やすために今日は帰ろう、とナースステーションに向かったとき、看護師長が私を呼び止めてくれました。当日担当の看護師が私たちの様子を伝えてくれたようでした。師長に手紙を託し、とにかく緩和ケアの医師と話したいと訴えました。師長は手紙を主治医に渡すことと緩和病棟への移動のために面談のアポを取ることを約束してくれました。何をするにも主治医の壁をどう突破すればいいのか、途方に暮れていた私を、助けてくれる人がようやく見つかりました。父の涙に心は痛みましたが、思いがけない師長の存在が私を支えてくれました。そして今日、電話をくれ、明日の夕方緩和医との面談が出来ることになりました。緩和医が全てを解決してくれるわけではないでしょうがどうにかひとつ望みが叶いました。

仕事を終え、面会に向かうと師長と今日の担当看護師から、今日も父が泣いてしまい、一人でいられなかったのでナースステーションでみなさんと過ごさせて頂いたり、散歩をさせてもらったりしていたと聞きました。精神状態も悪く、面会でほんの数時間一緒にいるだけでもぐったりしてしまうほどでした。全てが主治医のせいではありませんが、入院から2週間でここまで変わってしまったのはなぜなのか…もう私には分かりません。

父の部屋にいると主治医がいつもの調子で入ってきました。検査結果などをひとしきり述べましたが、結局右肺に誤嚥によると思われる肺炎、左肺には一部気胸が起こっているようだ、と言うことでした。癌増大はどうなったんでしょうか。沈黙が続いたのでこちらから、「昨日から泣いて泣いて…」と切りだしました。

「あの紙はサイドテーブルにの端~っこに置いたんですよ。あくまでも、ご家族さん宛のものなので。本人さんにはちょっと肺炎になっていて、と説明しましたよ。なので、あの紙を見て、と言うことはないと思います。誰かが動かしたのかも知れないですが…。これまでも癌の話はしてきているの…、理解できていなかったんですね。でもどちらにしてもいつかは理解しないといけないことですから。その時期が、ちょっと、意図しないときだっただけで、ね。まぁ、放射線治療は終わりましたので、今後の落ち着き先として…ご自宅は無理でしょうから、うちの病院にするのか、それなら緩和面談で言っていただいて空き次第と言うことになるでしょうし、他の病院をご希望ならそれで…」しっかり暗記していましたが録音すれば良かった、と思いました。私は端に置いたから見ていないはずだ、と、いうことに対して老眼鏡が出してあり、サイドテーブルの目につく位置に置いてありました(ので見ています)、とだけいい、後はずっと一息で主治医が、しゃべりつづけました。滑稽でした。ただひと言、端に置いたけど目についてしまったんですね、ごめんなさいね、で済むことです。それを勝手に見た父が悪い、本当の事だからしかたがない、さらに同じ病院で働くスタッフが勝手に動かして父に見せたなんて…。呆れて何も言えませんでした。そうですか、とだけ言いました。さっさと出て行け、と思っていました。

父は虚ろな精神状態でも、主治医を見ると「ペーパー、あったやろ、ペーパー」と私の方を見て言いました。やはりあの紙を見たんだと、分かりました。さらに「もう別の病院に行けって?」と主治医の言葉にさらに不安が募ってしまいました。主治医は父が字も読めず、何も分からないと決めつけているのです。

先の記事にも書いたとおり、訴えを軽んじられた事へのわだかまりも、父の事を教訓に他の患者さんへの対応を考え直してくれれば、となかったことにしていましたが、今日の出来事でこんなに人間として未熟な人がひとりの医師として、それも市民病院に雇われていることに驚き、こんなことが許されていいのかな、そんなに腫瘍内科医って足りないのかな、と、不思議に思いました。

同じ医師にかかっている方、大丈夫でしょうか。恐ろしいです。本当にこんな医師、大丈夫でしょうか…あんぱんまん