ちゃんと新書読んでいるのです。
佐伯啓思の「西欧近代」の帰結下巻。
難しい・・・orz
でも、いくつかの収穫があった。
まず、日本には二大政党制は根づきにくいということ。
なぜなら、社会に階級が存在すること。或いは、存在していたこと。
これが二大政党制における必要条件となっているからだ。
イギリスにおいては保守党と労働党。
アメリカにおいては共和党と民主党。
いわゆる社会の上層部に位置し、
自分らの受けている恩恵や権利を擁護しようとしている
保守的な人々の集団。
また、いわゆる労働階級である
社会の下層に位置した人々の集団。
これらの人々が自らの利益を求め
その政策を政治に反映すべく競い合うことで
成立したのが二大政党制なのだ。
平等が叫ばれる今日でさえ、
かつての社会階級は面影を残しているのだ。
一方で、日本はどうだろうか。
国民皆中流というように社会的階級はほとんど見られない。
(格差社会といわれているが他の国と比べれば大したことはない。)
このような社会においては、例え二大政党が
マニフェストを掲げ競い合ったとしても
政策に大した違いは見られない。
さらには、相手との差別化をはかろうと
互いに意識しあいマニフェストを作成することで
却って政策に矛盾や非現実的なものが現れるのである。
では、これからの日本はどうなるのか?
菅総理の誕生によって支持率の上がった民主党が
参議員選挙で過半数を死守出来ればいいものの
もし、自民党が息を吹き返してきたとしたら、
民主党は小沢派と反小沢派(菅さんや現在の民主党の中心議員)に分かれ、
自民党は国民の支持を集めるために反小沢派と連立を組むなんていう
政界再編だってあるかもしれない。
まあ、これが実現しちゃったとしたら
私はとっとと政治評論家になるわ笑
話を戻すと、確かに菅さんが総理大臣になったのは
良かったと思うんだよね。
だけど、ただ党首が変わったってだけで、
支持率がこんなに上がる日本国民もどうかしている。
日々、報道される支持率という名の視聴率に影響されているにすぎないのだ。
大体、支持率なんて根も葉もないものなのに。
たまたま、電話してアンケートとりましたってだけだよ。
それより大切なのは、現在の数字(支持率)に惑わされることなく
今後、数年~十数年を見越した政策の有益性を考えるべきであるはずだ。
これが、大衆社会の摩訶不思議。
話が新書の話に戻ってきたぞい。
かつての社会では政治は、政治的判断に優れた代表者。或いは、代表者たちが
政治の方向付けをして大衆を導いていた。
また、大衆は代表者に政治を委託していた。
これが民主主義であった。
国民が政治的リーダーを信頼し、
自ら、政治を委託していたからだ。
だけど、民主主義が広がるにつれて
大衆が選挙権を行使し、
大衆が政治の主導者となったのだ。
確かに民主主義である。国民主権である。
しかし、国民皆中流階級化した日本では
確かに教養があり政治的な関心を持った有権者もたくさん存在するが
その一方で、市民権や参政権を生まれながらにして持った
当たり前の権利であると誤解した有権者も存在するのだ。
彼らは、何の努力もなしに参政権を持っているため
政治に参加することに何の責任も持たず、何の努力もしなのだ。
無責任に選挙がおこなわれる。
マニフェストも読まなければ、
候補者の思想も政策も知らない。
知名度やキャラクター、数字によって判断されるのだ。
菅さんが増税派であることは
一体どれくらいの人に知られているのか。
大衆により無責任に動かされる政治は
安定せず、信頼も出来ない。
これは大げさな話。
現実にはあり得ない話。
この状況は、ファシズムが台頭しやすい。
カリスマ的な指導者が現れて
(小泉さんはエセカリスマ的指導者!笑)
巧みな演説とそのカリスマ性が大衆を魅了してしまって。
合法的な方法で政権を奪取する。
それで、すんごい経済政策をするの。
ヒトラーは公共事業によって失業率を0にした。
もちろん、大衆は支持するよね。
日本でだってありえるんだ。
まあ、日本みたいな島国の単一民族国家では
カリスマ的指導者は出現しにくいんだけど。
うん、こんな感じ。
20世紀とは何だったのか。