早咲きの桜とおはぎ 2024/03/18 | 紅式部のKyoの株

紅式部のKyoの株

京都在住16年目の専業主婦。
専業主婦になる前(25年前w)の貯金を原資に
悪戦苦闘しながら株式投資をしています。
トレーダーから投資家になるのが目標です。
好きな京都、植物、寺社、歴史についてや日々の出来事を綴っています
スマホで撮った写真を載せています

3月18日
 
 
 
 
桜を観に行きました
 

 

 

 

 

8分咲きくらいかな?

 

 

 

 

 

ここの桜はソメイヨシノが咲くころには散ってしまい、

いつも私は見頃を逃すのです

今年は間に合った!

 

 

 

 

 

 

 

ソメイヨシノとは花の色が違う気がします

 

野趣のある少しブラウンピンクの花

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

菜の花も咲いていました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰りに寄ったスーパーの手造りおはぎを買いました。

たくさん並んでいたのはお彼岸が近かったからなのね。

 

 

 

 

亡き母とこのお店でおはぎを買ったことがあります。

お彼岸の頃だったのかなぁ。

 

 

母はおはぎが好きでした。

 

私が小さい頃、母方の祖母が遊びに来ると、

いつも祖母と母が楽しそうにおはぎ(ぼたもちと呼んでいたような…)を作っていたことを覚えています。

 

 

 

 

 

母の年の離れた兄は10代で戦争に行っています

(18才か19才だったと思います)

 

 

辛い辛い訓練を受け、

いよいよ外地に赴く時、

名古屋駅を○日の〇時に汽車で通過するから面会に来て欲しいと連絡があったそうです。

 

食料が不足している時ではありましたが、祖母はありったけのお米や小豆や貴重なお砂糖を使って「ぼたもち」を作り、名古屋駅まで行きました

(当時名古屋まで行くのは大変だったと思います)

 

 

 

待っても待っても汽車は来ず…

聞いたらもうすでに通過したとのことだったそうです

 

 

 

祖母は悲嘆にくれ、泣いて泣いて寝込んでしまったと。

 

 

そのすぐあとに母の兄は外地で戦死いたしました

 

 

 

祖母の辛さはもちろんのこと、

私は母の兄の気持ちを思うといたたまれず。

最期に家族に会いたかっただろうと、

待っても来ないその時の気持ちはどんなだっただろうと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

母がお豆を煮るのが上手だったのは、祖母譲りだったのかもしれません。

 

 

芭蕉の句じゃないけれど

桜の時期は色んなことを思い出します

 

 

 

 

お店でおはぎを見ていたら涙があふれてきて

急いで家に帰りました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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