忠平企劃有限公司@松崎と申します。よろしくお願いいたします。

「人形町物語 HIROSHIの夢」たくさんの方々に閲覧頂き誠にありがとうございます。「株式会社京樽」1997年(平成9年)1月19日 会社更生法・倒産・・・25年前の事がよみがえってきました。会社更生法時の裏話をさせて頂きます。

 

人形町物語 HIROSHIの夢 #011 暁ヒストリー‐② | TAIPEI STYLE CYUBEI 台北スタイル-忠平企劃 (ameblo.jp)

 

【私の京樽の歴史‐②】

 

1985年(昭和59年)株式会社 京樽 入社

レストラン事業部所属(FR北小金、FR常盤平、FR柏若柴、FR手賀沼等)

1992年(平成4年)田中博氏 相談役へ 片山章氏 代表取締役に就任

1996年(平成8年)本部・立地開発部に異動

1997年(平成9年)会社更生法の適応を申請し倒産

1997年4月 上場廃止(加ト吉・現テーブルマーク支援)

1998年4月 営業企画本部・新業態事業部に異動

1998年11月 回転寿司「海鮮三崎港」目黒店開店

1998年より (株)吉野家も支援協力

1998年10月 FR京樽をレストラン海鮮三崎港に業態変更

2002年4月 更生手続終了 京樽退社

 

 

【1997年1月21日19:30~】

 

19:30頃 I澤部長・営業部長(S木部長やT末部長)清澄工場へ向けて出発。小腹が空き、マックでハンバーガーを買ってしばし休憩。ところが20:30になると 日本橋蛎殻町本社にすごい照明で照らされる。ビックリして外に出ると、TVカメラが6台。(S野次長の仕業・泣)社内のTVを視ていると20:55のNHKのニュースで「京樽・倒産」が放映される・・・そこからが蛎殻町留守番35歳新入社員は「猫の手も借りたい状態」 立地開発部の全部の電話が鳴り始める。丁重に電話に出て「会社名・お名前・電話番号」を伺いメモを残す。21:30頃になると、裏門をバンバンたたかれる。近隣の債権者(銀行や業者さん)が興奮状態で来社。こちらも丁重に「会社名・お名前・電話番号」を伺い、明朝必ず連絡しますと伝え、帰って頂く。22:00頃になってやっとI澤部長や次長・事業部長が帰社。電話対応は、部長達にお願いして、私は来社されたお客様対応。何とか落ち着いたのが23:30・・・I澤部長より「郵便局に行けと指示」私は「了解」郵便物を持って日本橋郵便局深夜窓口へ(ここだけは深夜郵便受付やっております・1月22日消印が重要)・・・I澤部長「俺は一回家に帰るけれど、お前は今夜は会社に泊まれ~明日7:00集合 よろしく!」郵便作業終了後、帰社2:00~本当の「暁ストーリー」開始であります。ソファーで横になったのは3:00頃 興奮で熟睡など出来るはずもなく、6;00頃朝マックを購入。I澤部長も6;30頃出社。新しい京樽のスタートであります。

 

※  後からI澤部長に伺った話ですが、清澄工場で部長・マネジャーに対して「会社更生法」の説明をした後、最後にS水専務取締役がみんなに向かって「会社の再生にみんなで力を合わせて頑張ろう~エイ・エイ・オ~!」と言ったそうです。民事再生法ならば経営陣(取締役)は会社に残れますが、会社更生法の場合経営責任を取って辞めて頂くのが普通です。上場会社の取締役が知らないとは(笑) I澤部長曰く、「こいつらダメだこりゃ」と思ったそうです。S水専務取締役のその後は、3月までに次の勤め先を決めて退職しましたが、長続きしませんでした。

 

※次回は1997年1月19日 会社更生法・以降の、出来事をお知らせさせて頂きます。

 

以上