怠全仙人閑話 -2ページ目

怠全仙人閑話

まだ高校生だった頃、同じタイトルで大学受験で有名な出版社の機関誌に投稿していたことがありました。あの時は目の前の現実である「学校」が嫌で、大学に合格することだけを夢見て日々を何とかこなしていました。還暦を過ぎた今、あの頃と基本的には変わらない私がいます。

 技術家庭科室を出て校庭を突っ切りながら空を見上げると、青い満月がくっきり大きく浮き出していた。

 秀雄は校庭を縦断した先にあるプールに向かった。金網越しに懐中電灯で中を照らすとまだ、張られたままの水面が懐中電灯の灯りを鈍く反射するのがわかる。プール全体が月の光で青ざめて感じられた。

 最後の巡回箇所である体育館は、プール棟から続くビニール屋根で覆われただけの吹きさらしの通路の先にあった。 

 英雄は今日、司令から聞かされた作業内容を思い出していた。それによると、体育館の点刻は入口の脇にある螺旋階段を2階まで登った所にある扉を入った辺りがちょうど舞台の裏側になっていてその付近にあるということだった。英雄は人ひとりが辛うじて登っていけるくらいの狭い階段を上がって行った。遮るもののない外付け階段は、少し冷たい秋風が吹きぬけ、鉄製の踏み板は摩耗してつるつると滑べった。登り詰めた所にある扉を、持ってきた鍵束から「体育館」と書かれた鍵で開けると中に入った。

 古い家屋特有のカビ臭さが鼻についた。舞台の右袖の柱付近だと司令から聞かされていたので、懐中電灯で暗闇を探すと点刻用の鍵はたやすく見つかった。

 ここからは舞台を降りて体育館を突っ切った所にある正面出入口から出るように司令からは言われていた。英雄は異常がないことを確かめながら出入口に向った。

 出入口は二重になっていてまずは店舗の入口のような大きめのシャッターを下ろして、その後でその隣にある小さな潜り戸を抜けてからそこにも鍵をかけることになっていた。螺旋階段からの入口とシャッターでしっかりと体育館は閉ざす事ができるので、巡回はこの最初の1回だけでいいことになっていた。

 英雄は電動になっているシャッターを降ろすためにスイッチとなっている鍵穴に持参した「シャッター」という札のついた鍵を取り出して回した。たちまち静寂を破る大きなモーター音が辺りに響いた。

 ところが音はするものの、いっこうにシャッターが降りて来ない。英雄は懐中電灯でシャッターが降りてくるはずの天井付近を照らし続けた。そして不審に思ってスイッチに入ったままの鍵も照らし出してみた。

 その時だった。天井のどこかでカリカリカリという乾いた音がした。英雄は音のする方を照らしてから慌ててスイッチから鍵を抜こうとして近くによった。ちょうどその時、バリバリバリバリという鼓膜にさわるような破壊音とともに天井から何かが降ってきた。英雄はあまりに急なので金縛りにでもあったかのように立ち尽くしてしまった。

 我に返って天井を見上げて英雄は更に呆然としてしまった。天井から落ちてきた物体が英雄の頭上、ほんの数センチの所にぶら下がって止まっていたのだ。

 英雄は、2、3歩、場所をずらしてから懐中電灯でよくよく観察した。小型の鉄製のモーターが金属製のチェーンを巻き付けながらぶら下がっていたのだ。英雄は思わず頭頂部に手をやった。

 英雄はスイッチの鍵穴から鍵を抜きとると慌ただしく外に飛び出した。

 

 英雄は宿直室に戻ってからも動悸がおさまらなかった。会社に連絡しておこうかとも思ったが、別に誰かに侵入された訳でもないので思い直して「業務日誌」に詳しく記入しておいた。

 やる予定にしていた受験勉強にも身が入らないうちに全く気はすすまないものの、午前0時になったので最後の巡回に英雄は出かけた。どことなく変に寒々としたものを感じながらも決められたコースを足早に進んだ。最後に体育館まで来て、さすがに奥まで入る勇気はなかったので、潜り戸だけ開けて中に入るとシャッターが降ろされていないため、懐中電灯の光が舞台の付近まで真っ直ぐに進んでだんだんと淡くなる先に闇が拡がっていた。そしてその光を今度は天井に向けると円筒形の黄色く塗装されたモーターが、冷たく光る金属製のチェーンに巻き付かれたまま、だらりとぶら下がっていた。

 英雄は早々に体育館を出ると深夜の校庭を横切って宿直室に戻ってきた。英雄が木製の扉を開けて室内に入った時、空気の揺らぎとは別に、この学校に来て初めに襖を開けた時にした加齢臭が、英雄の鼻先をかすめたように感じられた。

 英雄は自販機で買っておいた180ミリリットル入の日本酒をぐいと引っ掛けた。この警備会社のひどい寝具は使えないとわかった時から英雄は学生時代に登山で使っていたシュラフを持参し、さらに無理にでも眠るため自販機で瓶入りのお酒を買っておくのが常となっていた。

 英雄はやがて酒の力で眠りについた。

 

 翌朝、宿直室に技術職員が早々と出勤してきた。昨夜、英雄が学校にやってきたときには既に帰ってしまっていたから、初対面である。

「ニイチャンどうだい?何もなかったか?」

と50歳代半ばの色が黒い胡麻塩頭の技術職員が英雄を見るなり尋ねてきた。

「いやあ、大変な目に遭いましたよ」

と英雄は体育館のシャッターのことを話した。

 技術職員は、

「そうかい、やっぱりあったかい」

と意味深かげに目を閉じた。目尻の皺が深い。

「ニイチャンも知ってて来たと思うんだけどね、まず、ここだろ、俺が発見したんだよ、朝来てもさ、爺さん、校門の鍵も開けずに、ここに敷かれた布団の中で冷たくなったろ、ほら、この付近だよ。気のいい爺さんだったけどね。俺はひとりだから気楽でいいやなんて言ってたけどね、ほんとに、ひとりで逝っちゃったね」

 と、足元の畳付近を指差しながら言った。英雄は立ちくらみのようなものをおぼえた。

「そいでね、次に来たちょっと若い人がね、ニイチャンも行ったと思うけど体育館の螺旋階段、あそこから足、滑らせてね、大怪我。」

と言ってから、英雄の顔を真っ直ぐに見て続けた。

「ニイチャン、それくらいですんでよかったな」