和歌山 熊野本宮大社 | Shotaの日本旅行記 〜日本の素敵〜

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社寺と風景、お受けした御朱印に100名城スタンプを載せています。
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また、後で見返す事を前提としているのでたびたび前の記事を編集しますが、ご了承をお願い致します。

 
今回は世界遺産となった熊野古道の中心地であり、日本サッカー協会のシンボルにもなっている八咫烏が有名な熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)です
 
 
創建はハッキリと分かりませんが、崇神天皇の時代(紀元前30年頃)と言われる古社で、全国に4700社以上あるとされる熊野神社の総本宮となります
 
主祭神の家都美御子大神(熊野坐大神)は須佐之男命と言われており、熊野国造家の熊野連にお告げをされ、社殿を大斎原(おおゆのはら)に建てたとされます
 
この事から以前は社号を「熊野坐神社(くまのにいますじんじゃ)としていました
 
 
この家都美御子大神は実際の素性はよく分かっておらず、熊野の神使が太陽の使いの八咫烏から太陽神とも、熊野川の中洲にあった事から水神とも、または五十猛命とも言われて木の神との説もあり謎が多い神です
 
 
熊野本宮大社が多大な崇敬を受けたのは、熊野連山から新宮の海まで続く熊野川の中枢にあるため、ここが流通の要となっていたというのが崇敬の要因の一つではないかと思います
 
造船術を伝えた神ともされるところからも重要な要素と考えます
 
さらにこちらは川原を掘れば温泉が出る場所で、かつては熊野本宮大社で湯立て神事が行われており、旧地の大斎原は文献に「大湯原」と記されている事から、掘れば湧き出るお湯に強い神性を感じていたとも思われます
 
 
奈良時代に仏教が伝来、平安時代の神仏が混淆して以降は「熊野権現」となり、神々に仏を当てて神仏習合の霊場となりました
 
その時代にも多くの崇敬を受け、法皇や上皇も熊野詣でをし、小倉百人一首選者の藤原定家も“明月記”に「感涙禁じ難し」と記すほどその御神徳に感動しています
 
 
源平の頃には熊野水軍は源氏方についた事で社は守られ、室町時代の頃には庶民一般にも熊野信仰が広がって多くの場所に祀られるようになります
 
 
明治以降の社格では官幣大社まで昇格しています
 
しかしこの明治時代の1889年に熊野川は大洪水が起こり、川の中洲に鎮座されていた事から社殿は大被害を受け現在地へと遷座されました
 
旧社地の大斎原には日本一大きな鳥居と、鎮座していた上・中・下それぞれ4社ずつのうち、中4社・下4社の合わせて8社の石祠をこちらで祀られており、上4社は現在地へ遷してお祀りされています
 
ちなみにこの洪水の原因は熊野の山林を急激に伐採したため山の保水力がなくなって引き起こされたものです
 
 
こちらの神使八咫烏神武天皇を大和の橿原まで導いたという神話から導きの神として信仰されています
 
また、日本サッカー協会のマークはこの八咫烏で、多くのサッカー関係者やサッカーファンが訪れています
 
 
 
⚫︎社号標
 
⚫︎境内入口
⚫︎狛犬
 
 
⚫︎参道階段
 
⚫︎神門
 
⚫︎八咫烏の説明板
 
⚫︎社殿
 
 
⚫︎拝殿
 
⚫︎八咫烏
 
 
⚫︎大黒石
 
⚫︎瑞鳳殿前

 
 
それでは御朱印です
 

 
◇こちらは御朱印帳ございます
 
 
 
以前自由ヶ丘の熊野神社で書きましたが、自分は熊野系と相性良くないのか対応してくださった巫女さんの態度がかなり悪くて戸惑いました
 
観光客が多くて疲れていたのだと思っています
 
 
 
◆熊野本宮大社ホームページ◆
 
 
 
 
 
熊野三山
熊野速玉大社左矢印梛の大樹が目を引く
 
熊野那智大社左矢印日本一の滝を祀る神社
 
 
今までお伺いした社寺は下のリンクからどうぞ
 
 
 
 
 
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