京都 護王神社 | Shotaの日本旅行記 〜日本の素敵〜

Shotaの日本旅行記 〜日本の素敵〜

社寺と風景、お受けした御朱印に100名城スタンプを載せています。
この記事を見ていいと思ってくださる方がいるなら嬉しいです!
また、後で見返す事を前提としているのでたびたび前の記事を編集しますが、ご了承をお願い致します。


今回は京都御所の西側に鎮座し、足腰の神として知られる護王神社です


御祭神は平安京建都に貢献し、天皇家の系統が絶えそうになった道鏡事件で悪事を暴く和気清麻呂公とその姉の和気広虫姫です


以前も少し書きましたが道鏡事件とは、別名・宇佐八幡宮神託事件といい、弓削道鏡が女性天皇である称徳天皇へ宇佐八幡宮にいた道鏡の弟から偽の神託で「道鏡が天皇に就くべし」と受けたと進言し、天皇の地位を奪おうとしたが、その真意を聞くため宇佐八幡宮へ向かったのが和気清麻呂です

これは称徳天皇が姉の和気広虫へ宇佐八幡宮へ派遣を命じたのですが、虚弱のため長旅はできないと弟の和気清麻呂に頼んでいます

元々不審を感じていた和気清麻呂は宇佐八幡宮へ行くと「天皇は天皇の系統でなければならない」と神託を受け京へ戻り称徳天皇へ報告します

しかし昔病気の看病をしてくれた道鏡を贔屓にしていた称徳天皇は、神託の正当性のために派遣したのに違うことを言われて怒り、和気清麻呂を別部穢麻呂、和気広虫は別部広虫売と改名して配流になりました

配流先が九州であったので宇佐八幡宮へ参拝をしようと向かっていると豊前で道鏡の刺客に襲われ足を切られてしまったが、その際に三百頭もの猪が現れ刺客を撃退、清麻呂を護りながら道のりを案内してくれ、宇佐八幡宮に着くといつの間にか去り、切られた足も治っていました

そして一年もせず称徳天皇は崩御して道鏡も失脚・流刑となると清麻呂は京へ呼び戻され京と人の為尽くしたそうです


この話から和気清麻呂に縁深いとして狛猪などがあり、今も猪が彼を護り続けているということです


ちなみに宇佐八幡宮は宇佐神宮の事で、伊勢神宮と並び宗廟として強い影響力を持っていました

しかし時代が下ると豊前は遠いと京都に宇佐神宮から八幡神を勧請し、石清水八幡宮を建立して宗廟の役目を移しました




⚫︎社号標と鳥居

⚫︎狛猪


⚫︎楼門

⚫︎手水舎


⚫︎神楽殿

⚫︎社殿

⚫︎亥年の大絵馬

⚫︎いのししコレクション案内

⚫︎展示のいのしし

⚫︎和気清麻呂と霊猪の説明

⚫︎御神木・かりん

⚫︎護王神社の昔話


猪コレクションは主に亥年の方から奉納があるようです

今年は亥年、縁起がいいですね!



それでは御朱印です





あえてのコメントですが、もし道鏡が天皇になっていたら皇室はなくなっていた可能性が高いです

単純に道鏡がなっても称徳天皇と子どもが出来ればいいというわけではなく、歴代の女性天皇は男性がいない時に就いていて、血筋を継いでいる適正な方が認められるまでとなっています

これは男性の染色体遺伝子を継承しているということで、そのため女性天皇は歴史にいても女系は遺伝子が潰えるためいません

女性天皇と女系天皇は根本的に違います

分かりにくいですが





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