淳の自己満足型批判論 -7ページ目

憲法6

さて、今日から人権を個別に見ていく。

日本国憲法が定める人権は、大きく
「自由権」
「社会権」
「参政権」
「受益権」
に分かれる。


では、自由権から。

自由権は、「国からの自由」とも呼ばれ、国家権力が個人へ干渉することを拒む自由である。

自由権は、国家権力に対抗するための自由ともいえるだろう。


実は、自由権はさらに三つに分類することができる。

表現の自由や信教の自由など、「精神活動に関する自由」(精神的自由権)


経済活動に関する自由
(経済的自由権)


さらに、奴隷的拘束及び苦役からの自由
(人身の自由)
がそれだ。


この中でも、刑事事件などを起こしても刑務所で奴隷的扱いを受けないのは、この人身の自由があるからなのだ。

また、違法な手続きにより人は自由を奪われない権利を有するわけだ。

つまり、逮捕状もなしに現行犯以外で被疑者に手錠をかけられないのは、こういった人権があるからである。

精神的自由は
19条20条21条23条

経済的自由は
22条29条

人身の自由は
18条31条33条~39条

六法で確認してみてください。


続いて社会権。

実は社会権は最近生まれた権利、自由なねだ。


産業革命後の世界では、自由が思いがけず不自由や不平等を生むことになった。富を生む者はますます、貧しい人はますます追いつめられるという現象が起こったからだ。

そのような中、
「ただ単に国家から干渉を防ぐ自由権だけでなく、社会的経済的弱者を救済してこそ自由や平等は実現するんだ」という考え方が生まれた。

つまり、社会権とは国に対して求める権利なのである。

「国による自由」とも呼ばれる。

これらの権利に基づき、生活保護法や年金のセーフティーネットが整備されている。

~社会権~
25条(生存権)
26条(教育を受ける権利)27条(勤労の権利)
28条(労働基本権)

憲法5

さて、憲法の基本原理について話していきましょう


中学校の教科書でも出てくる
「国民主権」
「基本的人権の尊重」
「平和主義」

の三つですね。

この三つは別個独立しているわけではなく、互いに関係しあって憲法を支えています。

まず基本的人権の尊重は、君主に主権がある独裁国において成り立つわけがないのです。その意味で、基本的人権の尊重は国民主権と綿密な関係にあると言えます。

憲法前文は
「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」と表現しています。


また、戦争が最大の人権侵害であることを考えると、平和においてこそ、基本的人権の尊重が図られると言えます。

そして、それこそが日本国憲法の特徴なのだが、こうした基本理念に基づく理想を一国だけの実現で終わらせるのではなく、国際社会において実現することさえ願っています。

「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」
との表現にその思いをみることができる。

憲法4

さて、では日本国憲法の成立した過程はどうなのか。

この論点では二つの問題があり、有名な話です。

日本国憲法を語るとき必ずついて回るのが
「生い立ち」であり、場合によってはその生い立ちが改憲論の根拠ともなっている。

①憲法が明治憲法の改正手続きで生まれた

②憲法が戦勝国側のGHQの強い影響により成立した

という話だ。

確かに、日本国憲法は明治憲法の改正によって生まれた事に間違いない。しかし、この改正が限界を超えていたのでは?という論議がある。

つまり、明治憲法では主権者は天皇であり、それを「国民主権」の憲法に変えること事態許されないという主張である。
これを「改正限界説」と呼ぶ。
この説をとると、現在の憲法は無効ということになる。

そこで、改正手続きは
「借り物」であって、ポツダム宣言を受諾した事で主権者が国民の手に写り国民主権の憲法が成立したんだという説が一般的だと説明される。
この通説的見解を
「八月革命説」
と呼ぶ。

他に、「押しつけ憲法説」がある。
歴史的事実として、憲法制定にあたってGHQの指導が働いたのは事実であり、明治憲法の改正で行われたことを有効と判断してもなお、押しつけられたのだから無効であるという主張である。

なかなか、おもしろい論議であって私は好きですね。