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数人で、ある話題に関して話し合っていたときのこと




『それは「何のため」にしたのですか?』
と、Aさん




『「なんのため?」というと?
どういう意味なのかな…?』

はて?

純粋に 疑問を感じた私…

また、参加者の中の1人、Bさんも私とおなじような意見でした






数人で学び合っている、氣学の講座の途中の一コマです…








ひとつのものを語り合ったとき
捉え方は百人百様、千差万別…

相手の捉え方に、違和感を感じたとき
ひとつの事柄に対して
それぞれの反応は…

夫婦など、親密な間柄では、
感情が先に反応してしまいがちで、
相手を非難したり、
意地になってしまって、頑なに、相手の意見を受け入れられない
そんな状況になってしまいがちな事が多いようです









先日の講座の中での、その後の展開は…
と言うと、
学びの場ですから
参加者それぞれの生い立ちや、
育った環境について関心が向き
考察が深まりました






『何のために…?』
と、発言した方曰く

『そういえば、いつも、何かをするときに
「何のために」という、理由を探している自分がいる…』

とのこと








『何のために…とは考えない。
自分の動機には、損得という概念や、理由はないような気がする…
考えたことがない』

という意見もありました





これらは、二つの感じ方の例ですが…









自分が育った家庭…養育環境で、どのような価値観の影響を受けていたのか…


また

どんな感情(波動)を抱えている養育者の影響を受けていたのか…








共振共鳴

波動の法則があるならば

私たちの肉体は

養育者の感情の影響をかなり強く受けているのかもしれません…








何のために?と、いつも考える習慣がある…と
この度、気づかれ方は
詳しく伺うと

ご両親が、夫婦養子として入ることで、伝統のある家を継いだ方々で、
そのご両親の元に生まれたその方は、家を継ぐべくして育てられ、祖父母からとても愛され、反対に実母からは嫉妬されることもあった…とのこと

『もしかしたら、だから、いつも、「〜ために」と考える習慣があるのかも…』

と、話してくださいました




かたや、私…
何のために…と言う理由を考えるのが、
良くも悪くも苦手な方で…(^^;;

どんな養育環境だったかと言えば…

一歳半の時に母親が亡くなった告別式の後、
『可哀想だったから、思わず連れて帰ってしまった…』
と言う、すでに60歳を超えていた祖父母の元で、
無償の愛の中育ててもらい甘えきっていたところに、
一人で生きていけるように…と、高校への進学を機に自立を励まされて、
七転八起き…もがきながら、精神的自立…には、かなり時間がかかりましたが、
なんとか、社会の中で生きて行けるようになった…
そんな生い立ちです











自分が持っている何らかの「豊かさ」


体力

腕力

時間

ユーモア

アイデア

知識

技術

資格


はたまた


家柄

財産



etc






そして

「無償の愛」



















同じステージで話をしているとき
もしかしたら、そこには、
根本的なズレが存在しているかもしれません








『自分の物差しだげでなく、相手の物差しに想いをはせること

損得

理由


無償の愛…

根本的なズレの有無…
その辺りをまず
すり合わせる必要があるね…』



会話の中から、みんなで気付くことができた
とても、貴重な一コマでした














愛と光と感謝を込めて✨

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