母の人生を振り返って | 36歳の妊婦日記と育児日記

36歳の妊婦日記と育児日記

36歳で初めて妊娠し、妊娠してからの日記です。
100冊以上の育児本を読み、自分の経験をフル活用して、できるだけお金をかけず、息子を賢い子にすることを目指して、日々過ごしています。

母の人生を振り返って、今後、気をつけようと思ったことがある。

 

それは、

  • 健康が一番、大事
  • 見栄はいいことなし
  • 謙虚さと感謝の気持ちを忘れてはいけない
  • 自分を犠牲にしない
  • 子どもの人生は子どものもの
ということ。
 
 
母の乳がんがわかったのは8年くらい前で、5年くらい前からは手首や足に痛みが出るようになった。
 
股関節は人工関節を入れる手術をすれば、痛みなく普通の生活ができたはずだけど、病院嫌いの母は何年も痛みを我慢して、去年の秋頃、やっと手術する気になった。
 
でも、その頃には体が手術に耐えられる状態ではなかった。
 
手術の提案をされた時に手術していれば、痛みに耐える日々ではなく、もっと出かけて、楽しく過ごせたのではないかと思う。
 
いくら服やアクセサリーをたくさん持っていても、健康でなければ、それを使って出かけることすらできない。
 
母はよく「ストレスが原因でがんになった、あなたもストレスには気をつけなさい」と言っていた。
 
できるだけストレスをためず、健康が一番大事だし、ちゃんと病院に行こうと思った。
 
 
母はすごく見栄っ張りで、ちやほやされるのが好きだった。
 
過去を振り返って、母の見栄っ張りでいいことは1つもなかった。
 
私と弟は悪目立ちして、学校でいじめられたし、母の見栄のせいでどれだけのお金が無駄に使われたことか。。。
 
他人にはその家庭の本当の経済状態なんてわからないし、高い車に乗って、高い服を着ていたら、お金があるように思われて、妬まれることもある。
 
母も嫉妬されて、嫌な目にあったこともある。
 
お金がなさそうと思われているくらいの方が余計なトラブルに巻き込まれなくていいと思った。
 
 
結局、母は一度も家族に病状の詳細を伝えることもなければ、家族と治療方法について話し合ったこともなかった。
 
母がやっていた治療とは他の治療方法を母に提案したこともあったけど、全く聞く耳は持ってくれなかった。
 
それは、日々のお金の使い方も姪との関わり方についても同じだった。
 
母が亡くなった時、父と母の関係はよくはなかったので、父は今でも後悔している。
 
数年前、母宛てに手紙を書いた時、父にも手紙を書いた。
 
両親はお互い気を遣ってはいるけど、それは相手が求めていることとはずれていたし、お互いにこれは大変だった、感謝してほしいと思っていたことがあったから。
 
父は定年退職した時に母からお疲れ様の一言もなかったと私に何回も愚痴り、母は私と弟が子供の頃、父は平日は帰りが遅く、週末は自分の趣味に時間を使って母子家庭みたいだったと私に何回も愚痴った。
 
私の両親はすぐ怒って相手の話を聞かず、よく私に自分の方が大変だと愚痴ってきたので、私に愚痴るより直接、父と母で話をすればいいのにと思って両親に手紙を書いた。
 
でも、私の両親はお互いに本当は何を思っているのかを話すことはなかった。
 
あの時、ちゃんと話をしていれば、父は今こんなに後悔をしなくてすんでいたのではないかと思う。
 
両親を見ていて、いい関係を築くためには他の人の意見も聞く謙虚さと感謝の気持ちは大事だと思った。
 
 
母は晩年、「病気で思うように動けないし、人のために何かするばっかりで私の人生は何なんだろうと思う」とよく言っていた。
 
母方の祖父が亡くなった後、母は伯母の代わりに祖母の手伝いをし、伯母が亡くなってからは祖母の介護をした。
 
でも、母の実家の財産は跡取り予定だった伯母に多くの財産が生前贈与されていたので、祖母より先に伯母が亡くなった時に全部、伯父(私とは血の繋がりなし)にとられてしまった。
 
姪達が生まれてからは姪達の面倒をみて、がんになった後もずっと普通に家事をこなしていた。
 
母は損な役回りだったこともあるし、晩年はつらいことの方が多かっただろうけど、たくさん国内や海外へ旅行に行き、たくさん買い物をして、家の中は自分の思うようにやり、孫達と過ごすこともできて、総合的に考えればよい人生だったのではないかと思う。
 
母の選択次第で、ストレスはもっと減らせていたと思う。
 
母は人のために何かをしたいと思ってしてしまう性分だったけど、私は余計なストレスを抱えて、自分を犠牲にしてまで他の人のために何かするのはやめようと思った。
 
それでも、母の死後、父は近くに住んでいる弟ではなく、遠くにいる私に頼ってくるので、完全に自分を守れているわけではないけど。。。
 
 

母はずっと私の人生をコントロールしようとし、それは私が社会人になってからも続いた。

 

それが本当にしんどかった。

 

弟が好き勝手していたので、私まで好き勝手すると親がかわいそうという気持ちから、私は母が望む方を選ぶことが多かった。

 

母が私の気持ちを尊重してくれていると感じたことはほとんどなく、人生での大きな決断(学校、結婚など)の時は母と言い争わないと、私の選びたいものを選べなかった。

 

母が亡くなった時、母と弟の関係は最悪だった。

 

私は妊娠がわかった時、息子が生まれたら、息子の人生は息子のもの、息子の気持ちを尊重しようと思った。

 

最善を尽くしても親子関係が悪化することもあるかもしれないけど、私は息子とずっといい関係でいたい。