予定時刻が迫り次の訪問先の女川第一中学校へ到着。これまたビックリ、校舎の外で大勢の生徒さん達がわざわざ出迎えてくれているじゃありませんか。これには我々一同も驚かされ、その子供達の元気のいいこと!先程までの気持ちとは一変し元気で明るい雰囲気になり大人達にも笑顔が。本当子供達の力はすごい元気付けなければならない方が逆に元気を貰いっぱなし(汗)ほんと逆でしょ(泣)先生方も外で待機していたためその場で挨拶を終え急いで荷下ろしした後に生徒さん達との交流になりました。
女川の状況を見て言葉に詰まる場面も。
代表の生徒さん達に一人一人渡し。
最後はみんなで記念撮影。
女川第一中学校の校舎の中に飾られていた言葉通りの「笑顔」でした。
http://www.27p.jp
石巻開北小学校を出発し湊から渡波を通り最終目的地の女川へ。渡波を過ぎ万石浦まで来ると地盤沈下の被害は甚大ですが建物は意外に立っています。(建物があっても地盤沈下をしていればどっちみちダメな事に変わりありません)その理由の一つに万石浦湾の奇跡的な地形がありました。津波が押し寄せてきた時、湾の入り口が狭く津波が侵入しにくい形状と橋に瓦礫や船などの堆積物が引っかかり勢いのある津波の力を抑えたのです。しかしすべてを抑えられる訳もなく勢いが幾らか軽減されただけでかなりの浸水はもちろんあった事は言うまでもありません。
万石浦を過ぎ浦宿辺りは地盤沈下で満潮時には水浸し状態、辛うじて満潮時刻を避けれたため問題なく進み女川第一小学校を過ぎた頃景色は一変、津波により破壊された光景が現れ灰色一色の世界に言葉を失います。
しばらく進むと小高い丘の上に女川町立病院がありそこの駐車場で車を一旦止め丘の上から女川の町を見る事に。車を降り目の前に広がった光景に一同唖然…ビルが根元から流され横に倒れている光景がしばらく理解出来ない様子でした。
以前の町の様子などを挟みながら当時の様子をISSAさんに説明していると不思議そうに指をさしたその先には車があり「あれも津波で⁉」と話し沈黙…さらに「実は今居る病院の一階まで津波が来たんですよ」と話すと何がなんだか理解出来ない様子でした。「考えられない…信じられない…何も言えない」と話し、そこからしばらく女川の町を見ながら涙を流しておりました。
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万石浦を過ぎ浦宿辺りは地盤沈下で満潮時には水浸し状態、辛うじて満潮時刻を避けれたため問題なく進み女川第一小学校を過ぎた頃景色は一変、津波により破壊された光景が現れ灰色一色の世界に言葉を失います。
しばらく進むと小高い丘の上に女川町立病院がありそこの駐車場で車を一旦止め丘の上から女川の町を見る事に。車を降り目の前に広がった光景に一同唖然…ビルが根元から流され横に倒れている光景がしばらく理解出来ない様子でした。
以前の町の様子などを挟みながら当時の様子をISSAさんに説明していると不思議そうに指をさしたその先には車があり「あれも津波で⁉」と話し沈黙…さらに「実は今居る病院の一階まで津波が来たんですよ」と話すと何がなんだか理解出来ない様子でした。「考えられない…信じられない…何も言えない」と話し、そこからしばらく女川の町を見ながら涙を流しておりました。
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湊第二小学校に支援物資を渡し終えた後、開北小学校の校長先生がご挨拶に来て頂き今回の趣旨をお伝えした時の画像です。
開北小学校のプール脇から見た湊第二小学校の仮設校舎です。
当時の開北小学校さんもまだ体育館が避難所になっており100名前後の方々が生活している状態で更に湊第二小学校さんも間借りしている震災前は考えられない想定外の過酷な状況で子供達が過ごしていたのは間違いありません。しかし開北小学校さんと湊第二小学校の生徒達もそんな事は無かったかの様に元気一杯の笑顔で過ごしている姿にここでも大人達が逆に元気をもらいました。
ご挨拶を済ませた後最後訪問先の女川へ出発。向かう途中に先程訪問した湊第二小学校と湊中学校が並んている道を通りましたが何度見ても変わり果てた地元の姿には慣れません…
小学校の時計は地震がきた時間で止まっています。
小学校の校庭は津波による廃車となった廃車置き場に。※現在は撤去されています。
今でも歌える懐かしい校歌。
昔通った湊中学校。
震災前まで仙台で暮らしていた私達はお互いの故郷である石巻に戻り子育てをする事を決め仕事も移りやっと落ち着いた生活が出来ると思っていた矢先の震災…仕事も無くし契約を切っていたため住む家も無い状態、正直「何もかも終わった…」と思いました。しかし亡くなられた方々に申し訳ない気持ちや、せっかく生かされたのだからなどと思い気持ちをごまかしながら、なんとかやってきましたが変えられない現実に限界を感じる事も多くなってきたのは現実です。
かなり私情が入ってしまいました…
申し訳ありません。
開北小学校のプール脇から見た湊第二小学校の仮設校舎です。
当時の開北小学校さんもまだ体育館が避難所になっており100名前後の方々が生活している状態で更に湊第二小学校さんも間借りしている震災前は考えられない想定外の過酷な状況で子供達が過ごしていたのは間違いありません。しかし開北小学校さんと湊第二小学校の生徒達もそんな事は無かったかの様に元気一杯の笑顔で過ごしている姿にここでも大人達が逆に元気をもらいました。
ご挨拶を済ませた後最後訪問先の女川へ出発。向かう途中に先程訪問した湊第二小学校と湊中学校が並んている道を通りましたが何度見ても変わり果てた地元の姿には慣れません…
小学校の時計は地震がきた時間で止まっています。
小学校の校庭は津波による廃車となった廃車置き場に。※現在は撤去されています。
今でも歌える懐かしい校歌。
昔通った湊中学校。
震災前まで仙台で暮らしていた私達はお互いの故郷である石巻に戻り子育てをする事を決め仕事も移りやっと落ち着いた生活が出来ると思っていた矢先の震災…仕事も無くし契約を切っていたため住む家も無い状態、正直「何もかも終わった…」と思いました。しかし亡くなられた方々に申し訳ない気持ちや、せっかく生かされたのだからなどと思い気持ちをごまかしながら、なんとかやってきましたが変えられない現実に限界を感じる事も多くなってきたのは現実です。
かなり私情が入ってしまいました…
申し訳ありません。























