寺輪博美さん
2013年8月25日午後、夏休み中の中3女子だった寺輪博美さん(15)は友人とイオンモール四日市北付近に行き四日市花火大会の花火を見に行った。花火大会は午後8時30分頃、終了した。博美さんは午後10時頃、富田駅から乗車して朝日町の友人と話すために最寄りのJR朝日駅で下車した。近くのスーパーマーケットで友人と別れて自宅に向かい、家路についたがこの際にlineで姉が帰宅を促したので博美さんは「帰っとるって言ってるやろ」とメッセージを送った。
午後10時55分頃、博美さんはスマートフォンで友人にメッセージを送信する。午後11時頃、複数の友人が博美さんにメッセージを送るが未読だった。8月27日、博美さんの父親が警察に捜索願を出した。8月29日午後2時半頃、警察官が三重郡朝日町埋生地区の県道脇の農地付近の空き地で腐敗した博美さんとみられる遺体を発見した。遺体は草叢の上に仰向けで横たわり、下着以外の衣服は身に着けておらず、財布から現金(約6000円)が抜き取られていた。
8月30日、三重県警が遺体を寺輪博美さんと確認した。強盗殺人・死体遺棄事件として四日市北署に約90人態勢(後に110人に増加)の捜査本部を設置した。司法解剖の結果、博美さんの死因は窒息死と判明した。博美さんの口の周囲は内出血し、腕にもうっ血した痕があったため、口や鼻を強く押さえつけて殺害した可能性が指摘されている。11月28日、警察庁は犯人逮捕に結び付く有力情報の提供者に最高300万円の公的懸賞金を支払うことを決定した。
事件発覚から3カ月で捜査特別報奨金制度の対象となったのは最短である。事件から半年近くたった2014年3月2日夜、四日市北署の捜査本部は強盗殺人の容疑で朝日町に住む仙石直也(18)を逮捕した。事件現場付近では捜査員による聞き込み調査がされたが、仙石は自宅に訪ねてきた際に顔色ひとつ変えずに心当たりがないと答え、さらに自身のアリバイも語っていた。仙石はしらを切り通したと思っていたかもしれないが、捜査員は身辺捜査を慎重に進めていた。
捜査員はスーパーマーケットを始めとした商店や路上に設置された防犯カメラを解析した結果、説明したアリバイと異なり、仙石が事件直前までスーパーに立ち寄っていたことが判明した。さらに、仙石直也は犯行時に博美さんの財布を触っていたため指紋が残されており、これが決定的な証拠になった。逮捕当日の午前中に、仙石直也は父親とイオンに買い物に出かけており、三重県鈴鹿市内の路上にて三重県警の捜査員に声をかけられると、かなり驚いた様子だったという。
仙石直也
捜査本部は仙石が前日に高校を卒業するタイミングを待って捜査を進めており、三菱自動車販売株式会社に整備士として就職がの内定が決まっていた矢先の出来事だった。仙石は任意同行に応じて午前8時50分頃に四日市南署に連行された。聴取に仙石は「私が犯人です。ひとりでやりました」と容疑を認めたことから、2014年3月23日、強盗殺人の疑いで仙石は津家裁に送致された。同日、家裁は2週間の仙石を観護措置とし、少年審判を開始することを決定した。
地検の柴田真次席検事は仙石を強盗殺人ではなく、強制わいせつ致死罪などで起訴したことに関して、「殺意を証明する証拠を集めることができなかった。遺族には引き続き、処分の理由を誠実、丁寧に説明したいと思っている」とのコメントを残している。6月26日、三重県警は犯人逮捕に繋がる情報を提供したふたりに報奨金を計200万円支払うと発表した。捜査特別報奨金の対象事件の内、容疑者不明の事件で報奨金が支給されるのは本事件が初めてのことだった。
被害者となった博美さんは明るい性格で、多くの人に親しまれていた。存命であれば、2014年3月7日に卒業式を迎えるはずだった。博美さんの遺族は、自宅ポストに「遺族・親族一同」として「犯人の行為は決して許すことができず、厳罰を望んでいます」と記した紙を張り出した。博美さんの両親(共に45)は仙石が強盗殺人ではなく、強制わいせつ致死等で起訴されると、記者会見を開いて「納得できない部分はありますが、裁判所は重い判決を下してほしいです」と述べた。
仙石は県内の公立高校の3年生で、逮捕される前日の卒業式には出席し、友人と談笑していた。マスコミは「同級生らは信じられない」と動揺し、「成績も良く、友人も多かった」「皆に慕われる明るい性格だった」と報道した。しかし、一家を知る地元住人は「マスコミは何を調べてあんなことを言っとるんですかえ。人間ができとる? 頭がいい? まるっきり違う。警察や教委はよくマスコミをあれだけコントロールしたなと近所では失笑してますよ」と実態が違うとの不信感を露わにした。
仙石は自身のツイッターに事件当時、Twitterで「ちょ、え、めっちゃやばいやん」「四日市の女子中学生らしい…手の震え止まらん」などと事件についてツイートし、自宅に捜査員が聞き込みに来た後には「(警察が)近くの家の人に聞いて回るらしい」「THE・平和の町やったのに(T-T) 気持ちの整理つかんわ…」などと逮捕前日の3月1日まで、終始事件と無関係を装っていた。仙石のTwitterは「事件が金目当ての犯行である」と主張して逮捕されるまで変わったところはなかった。
しかし、金目当てなのもかかわらず、6000円所持の中学生女子を襲ったことや遺体から疑念を持たれていたが、仙石は「家族にわいせつ目的だったことを知られるのが嫌だったから、金目的と言ってしまった」などと供述した。審理は裁判員裁判により行われ、2015年3月24日、津地裁は仙石に対して「犯行は悪質で強い非難を免れない」として懲役5年以上9年以下の不定期刑の判決を言い渡した。同年4月6日、津地検は一審判決を不服として名古屋高裁に控訴した。
2015年7月17日、名古屋高裁で控訴審初公判が開かれた。検察側は冒頭陳述で「意識を失わせて、わいせつ行為に及んだ卑劣な犯行である。被害者には何の落ち度もない。懲役の上限を10年にすべきだ」と主張した。一方の弁護側は「裁判員裁判の判決は尊重すべきだ」と反論した。9月17日、名古屋高裁は「1審の判決は計画性をも考慮している」として1審判決を支持し、検察側の控訴を棄却したことから、仙石の刑罰は一審判決の不定期刑に確定している。