筑後国城島城の話。
調べていくと、いろんな難問に突き当たります。
城島城跡。
筑後に入部した田中吉政は家臣の宮川讃岐を置きました。
桜の時期ははとてもきれいだそうです。
ここは町の中ではなく、筑後川に近い場所にあります。
筑後国城島城の話…。
「城島むかし」「田中興廃記」などは、こうか書かれています。
田中忠政が大阪夏の陣に遅れたのは、城主の宮川大炊が、他の武将と喧嘩になり、忠政に刀を抜いて成敗された事件が起こったからだと。
宮川一族が城に立て篭もり息子の15歳の小一郎が城兵を助けるために切腹して、城落したと書かれていています。
城島には、城島城跡に小一郎を祀る天満宮が確かにあります。
でも、まず、大炊の息子は、丹後と言いますが、重い役所のまま務め上げます。
成敗された父を持つ一族は、それは無理だと思います。
そして、落城と言うと、「八院の戦い」と言って関ヶ原前の戦の話があります。
九州平定前の話で、城島城も激戦地でした。
小一郎の命日は、旧の11月。
夏の陣は夏だし、西牟田氏の落城は、命日と同じ月。
田中忠政の時代に宮川一族が立てこもり、落城した話はごちゃ混ぜです。
時代の違うあちこちの話を組み合わせたお話は、歴史として、考えてはいけないです。
こう考えると、大阪夏の陣の遅れた話は、ないのかもしれません。
この昔の読み物を参考に書かれた町の市史はとても多いです。
早く直して欲しいです。
次期を待たねばしかたありません。