「信じないぞ!オレはヤッパリ信じない」十蔵は叫んだ。「サブ、オマエの見たモノはサソリじゃない。きっと、サソリに似たエビかなんかの動物だよ。本当にザリガニだったかもしれない、、、」

 「十蔵、意地はんなよ。オレは嘘なんかいわねえよ。水槽にサソリってレッテルが貼ってあったんだよ。間違えるモンかよ。第一、エビやザリガニが出目金食うと思うかい?」

 犬神はあくまでも穏やかだ。その分、十蔵はふてくされ気味にプイと横を向いた。現状の旗色が悪いのを自覚したのだ。確かに彼はサソリをまのあたりにしたことは一度もない。マンガや007の映画で形状の認識がある程度だった。犬神がいうようにその姿はザリガニによく似ていた。でも、感じとしてはもっと小さくもっと軽そうで、いわれてみれば水なんかには平気で浮きそうな気もしてくる。しかし、十蔵はどうしても負けたくなかった。犬神の体力面での強靱さには前々から舌を捲いている。その上、頭脳でも敗北したとなったら自尊心が許さない。彼は意識の中で、この窮地をどうやって脱出しようかとそればっかり考えていた。

 「オメエも偏屈なヤロウだな。十蔵。一度、本物のサソリに刺されたらいいんだ。そうするとオマエの真っ黒けな精神も真っ白に脱色するかもしれないからよ」

 犬神は十蔵の態度で勝利を確信しニタニタ笑いを絶やさない。

 「でもマア、オメエがオレのいうことを信じたくない気持ちもわからんでもない。だったら、こうしようじゃネエか?サソリが泳げるか泳げないか、京極に聞いてみようじゃねえか」

 京極は横にいてギクリとした。

 「オメエも知っての通り、京極は医者でもあり心理学者でもあり動物学者でもある」

 嘘だア、京極は心で叫んだ。これまで笑いを堪えるだけでよかったのに、雲行きが怪しくなってきたと悟った。

 「だから、正解を聞いて見ようじゃネエか?」犬神は犬歯を鈍く光らせて京極を見た。

 「へん、よくいうよ。京極はオメエの部下じゃねえか。オメエの味方をするに決まっている」

 脱出口がほのかに見えた十蔵は元気づいて反撃する。

 「そんなことないよ。コイツは真実の探求にはことのほかウルサいタチでな。悪くいやあ、そのことだけで生きているようなもんなんだ。だから依怙贔屓なんかしない。それが学究者というもんサ。ナアそうだろ、京極?」

 「ハア、まあそうです」京極は力なく答えた。

 「ヨシ、じゃあ、サソリが泳げるか泳げないか真っ正直に答えるんだ。もちろん、おまえがオレの部下だってことなんか忘れろ。おまえの学問の良心にかけて真実を述べるんだ」

 そういわれて京極はふたりを見た。ふたりとも獰猛さがにじみ出ている。まるで檻の中にいるようだった。十蔵は手の胼胝光りからして、空手か拳法の練達者であることは間違いなく、根本的な膂力からしても自分より数段勝っていると推察される。素手で闘えば、ひょっとして犬神とて手こずるかもしれない。

 「そうですね、、、」

 京極は思い出すふりをして、また下を向き時間を稼いだ。もちろん犬神のいったことは全部まやかしで、サソリが泳げるわけはない。サソリはエビやザリガニといった節足動物には違いないが元々は蜘蛛の仲間で砂漠や荒地といった水のないところに生息している。水の中に投げこめば、泳ぐどころかアッという間に失神して底に沈んでしまうだろう。真実はそうだが、かといって犬神は絶対に裏切れない。後でどんな目に遭うか考えただけでも恐ろしい。それこそ、踏み潰されたザリガニのように変形した人間の体や、サッカーボールのように転がってきた生首などが所狭しと脳裏に殺到してきた。

 

                            続く