「それにしても、京極よ。今度の上のヤツラの反応は少し異常だな」犬神がいう。

 「なにがです?」京極は犬神のいいたいことは、わかっていたが腹立たしいのでとぼけた。

 「とぼけるじゃねえ」犬神が怒鳴った。「オレは本気でオマエの真っ当な意見を聞いてんだ。だから、そのつもりで答えるんだ」

 「すいません」と京極は情けなくあやまったが、腹の中ではここでテーブルをひっくり返すことができたらどんなにいいかと考えていた。だがそれはできない。喧嘩になれば、瞬時に身障者にされる。地べたに転がった下田英孝の惨めな姿がまた意識に浮かんだ。

 「正直いうと、ぼくも今度のことは少し拍子抜けしてるんですよ」実は犬神と大体同じ意識を持っていた。

 「そうだよなあ。こちとらあ、アレだけのヤマ、手っ取り早く解決してるんだ。それをお使いに行ったガキじゃあるめえし、ご苦労さんの一言だけじゃ、誰だって納得いかねえさ。ケド、勘違いすんなよ。オレは派手な賞状や賞金が欲しくっていってるじゃねえぞ。全体の士気に関わるからいってるんだ。そりゃ、オレたちはただの公僕で、犯人を捕まえてヤマを解決するのが仕事だから、当たり前のことをしただけだといわれりゃそれまでだよ。ケドな、成し遂げた仕事の正しい評価は欲しいだろ。そうでなくちゃ、みんなやる気をなくしてしまうよ」犬神が蕩々といった。

 「その通りですね」京極はコクンと首を振った。「たとえ名もなき公僕とはいえ、真っ赤な血が流れてるんだ。それなりの希望も欲望も持っている。それがわかってて上の連中は僕らを将棋の駒みたいに扱う。マア、薄らデカい組織を維持するにはそうするしかないかもしれないけど、少し冷たすぎますね。もっと気にかけてくれてもぼくはいいと思う。上の連中が気にするのは、もっと上の連中のことだけだというわけですからね」

 「まったくだよなあ」

 犬神三郎は納得顔で腕時計を見た。もうじき12時になろうとしている。だが、辺見直介は姿を見せない。ごった返していた店内もひと組二組と客が帰り始めている。繁盛している店だが、終電車が近づいてくると当然そうなる。

 京極進はぼんやりとあたりを見回した。実はこの店の暖簾をくぐったのは今日が始めてだった。正直いうと、こんな店があったことも知らなかった。奇抜というか実にユニークな店である。最近できた新規の店には違いないが、店内の装飾や調度はわざと古ぼけて汚らしく見えるように工夫してある。たとえば、壁や床には加工前のザラザラした板を用いてあるが、長い間の使用感を表わすためすすけたヤニ色の塗料を塗っている。丼や皿も使い込んだモノを集めてきたようだ。極めつけは、奥の座敷だ。そこには畳でなくむしろが敷いてある。客席には掘りごたつ式の囲炉裏があって実際に炭がくべてあった。

 天井には一面に網が張ってあり、照明は一段と暗い。方々の壁には傘、蓑、綱、旗、野良着などが所狭しとかけてある。大黒柱には火縄銃まで飾ってあった。何百年か前の猟師小屋か百姓小屋をイメージしてこしらえたモノであろうが、その雰囲気は充分でていると京極は思った。

 

                          続く