病気が治って意識を集中させモノを順序立てて考えることができることに感激していた。なにもかもがうまくゆく気がした。なにしろ彼には先祖から譲られた膨大な財産がある。金の力で行ったこともない遠くへ出かけていって、誰も見たことのないようなものだって見れるはずだと彼は考えた。山を売ろう。一番豊かな山を売って金を作ろう。そうして、したいことをして生きようと彼は決意したのだった。
ブナの林を抜けた。有頂天になって遠くばかり見つめて走っていたが、油量計が底をついているのに気づいた。彼は枝道にそれた。その道をダラダラ下っていく。やがては北へ伸びる大きな国道へと通じる。そこに行きつけのガソリンスタンドがある。彼はまずそこに寄ることに決めた。
「おはよっス」小木曽忠が注入口にノズルを突っ込むと、ちょこまか寄ってきた。下田英孝はドアをサッと開いて外に出た。
「洗車を頼む。布洗車をな。ワックスもかけてくれ」なにしろ車は買い換えたばかりのセフィーロの新車であった。
「アレーッ、ヒデさん。今日はずいぶんスッキリしてしてますねえ。まるでワックスかけたみたいですよ」
小木曽忠が窓をなぞりながらいった。キューピーのように目がくりっとした色白で小太りの青年である。一時的に店を離れていたが、また戻ってきて仕事をしている。下田とはスタンド以外でも、アチコチで顔を合わせてるウチに親しくなった。
「下らないことをいうんじゃない。人間にワックスがかかるわけないだろう」
「だって、マジでそう見えるんですよ。光り輝いている。まるで新品だ」
「さっさと仕事をしろ」
「へい、へい」そうはいったが、忠は洗車機に下田の車を突っ込むとすぐにとって返してきた。
「ねえ、ヒデさん。面白い話を聞かせましょうか?オレはこんな仕事をしているし、ネが遊び人だから顔だけは広いんですよ。いろんな話が耳に飛びこんでくる。そんでもって、この話は久々のヒットなんだ。聞いたときから面白くって、誰かに話したくてウズウズしてた。でも、なんだかもったいなくって話さなかった。でもどうしてだろう?ヒデさんの顔を見た途端に話したくなった。こんなことって始めてだ。おかしなもんですね」
「オレがあまりにもスカッとしててビックリしたのか?」英孝はカタをそびやかして忠を見た。
「そうかもしれない。人間てのは感情の動物だからそう思ったのなら仕方ない。だから話しますよ」
小木曽忠は使っていた雑巾をバケツに放り込んだ。その時、鯨のような大型ダンプが前の通りを轟音と共に疾走していった。ビリビリとしばらくは揺れが伝わってきた。
「県知事の娘がさらわれたんですよ」
その言葉に下田は後ろにひっくり返りそうになった。
「う、嘘いうな」そういうのが精一杯だった。
「嘘なんかいってませんよ」小木曽は笑っている。笑うと彼は丸い顔がさらに膨らみ白い歯がこぼれて、まるで絵本の中の動物のように可愛らしくなる。
「オレには子供ん時からのダチん中で、おまわりになったヤツがひとりだけいるんですよ。ソイツがいってましたよ。知事の娘が待てど暮らせど帰ってこないって、、、。どうです?おもしろいでしょう」
「おもしろいことなんかあるもんか」下田は声を荒げた。
続く